故宮博物院は、北京の中心に位置し、東西735メートル、南北960メートル、敷地面積72万平方キロメートル、周囲を高さ10メートルの壁に囲まれ、幅
52メートルの堀に巡られている。建造物700余、部屋数9万9000、所蔵品数100万点に上る故宮は、建物自体が重要な歴史的資料となっている。
 故宮は大きく「外朝」「内廷」に分けられ、「外朝」は主に公の行事を行う場で、太和殿、中和殿、保和殿の3殿からなり、「内廷」は乾清門以後の乾清宮、
交泰殿、坤寧宮、東西6宮などの宮殿群からなり、皇帝が日常政務を取り仕切ったり、住居があった場所、皇后・貴妃の住居として利用した場所を"後宮
"と呼んだ。ここに現存する門は、午門、東華門、西華門、神武門(北門)の全部で4ヶ所しかない。
 故宮博物院は紫禁城とも呼ばれていた時期もあり、古来の歴史書『周礼』をもとに造られ、皇帝支配の象徴とされる場所である。紫禁城の午門をくぐり、
1万坪を越える前庭と太和殿を目の前にすれば、時間を超越し、建物、宝物、木々の一つ一つにこれまでそこに住んだ様々な人の物語を感じることがで
きる。
 紫禁城の宝物の多くは、国民党が内戦中に大陸から数万キロの道のりを経て台湾に持ち込み、 現在台湾台北の「故宮博物館」に保管されているが、
建築の壮大さは北京の「故宮博物院」がその偉大さを今も伝えている。
 この地には、もともとは、国民党の時代に外朝を古物陳列所として、皇帝への献上物の他、瀋陽故宮や承徳行宮の宝物が展示されていた。その後、溥
儀が内廷を退去させられた以降にると「紫禁城」から「故宮博物院」と名称を変えられた。
 元々「紫禁城」の「紫」とは、本来天の中央に位置する紫微垣に由来し、中国の天文学では、古来、北天を太微垣・紫微垣・天市垣に分けた。その中央
にあったのが紫微垣である。天帝がいる宮殿を「紫禁」というのは、動くことのない天(紫微)の支配を指し、宮殿の門戸が一般市民には「禁」であったこと
から「禁断の皇宮」という意味から「紫禁城」と呼ばれていた。 
 「紫禁城」は、1406年に明の永楽帝の命により造営が開始され、全国から数10万人の労働者と数100万トンに及ぶ建築資材が集められ、完成までに15
年の歳月を要した。以後、明、清代の皇帝24人がここを居城とし、ラストエンペラーで知られる溥儀や康熙帝など中国に名を残すさまざまな人物の歴史的
な舞台になった。