敦煌はかって沙州と呼ばれ、漢の武帝が郡都を置いたことから敦煌となった。西を見渡せば荒涼とした砂漠が広がる。
烏魯木斉を経てカザフスタンへの天山北路。喀什(カシュガル)を経てパミール高原ヘ抜ける天山南路。楼蘭から和田(ホ
ータン)をたどる西域南路などの中国と西域を結ぶ交易交差点として栄えた時代もあった。今は遺跡と広大な砂漠が悠久
の歴史を我々に語るのみである。
 敦煌市内には鉄道駅が無く、約130km離れた蘭新線の旧柳園駅が敦煌駅として改名され利用されているが、敦煌市
中心街までは約2時間30分かかる。
 敦煌の街は東西に概ね2kmほどでこじんまりしいおり、市中心部の陽関東路と沙州路が交差するロータリーには「反弾
琵琶伎楽天像」のモニュメントがあり、敦煌随一のショッピング街となっている。