中世豪族屋敷・八田家書院(はったけしょいん)

1.どこにあるのですか?
 所在地     山梨県笛吹市石和町八田
 アクセス     JR中央線石和温泉駅より徒歩15分   車 中央自動車道一ノ宮御坂ICより一般道で約10分

2.八田家書院ってなんですか?
  八田家書院(はったけしょいん)は、山梨県笛吹市石和町八田(旧東八代郡石和町八田)にある中世豪族屋敷で、八田家御朱印屋敷に付属する
 別棟の書院です。八田家書院と八田家御朱印屋敷はともに山梨県の文化財に指定されています。

3.もうすこし詳しく知りたいのですが?
  八田家は家中の財政を担う御蔵前衆(蔵奉行)を務める戦国時代の武田氏家臣で、商業活動も行う商人でありました。由来書によれば晴信(信玄)
 期には淡路守家重が始祖で、勝頼期には末木村(笛吹市、旧東八代郡一宮町末木)を与えられ末木姓を名乗り、武田滅亡後に徳川氏の命で東市
 佑政清が八田姓に復した。八田政清は徳川家康から諸役免許状(朱印状)を受けて 安堵され、有力 郷士となりました。

  屋敷地は甲府盆地東部、標高273メートルの沖積低地上に位置。笛吹川の旧河道沿いで、南には甲州街道が通る陸水交通の要地。江戸時代の絵図に
 よれば八田家屋敷は規模が大きいが多くの郭群は宅地化され、現在では八田市之丞屋敷地が残るのみです。屋敷跡は東西120m、南北150mの変形方形
 で、周囲は濠、東側一部と北側には幅7~10mの土塁と 堀が築かれている。屋根は 萱葺の入母屋造となつています。

  屋敷内邸宅郡は武田滅亡の際に焼失し、安政6年(1859年)に南に位置する笛吹川が氾濫した水害を受けるなど変遷しており、昭和15年に再建され
 ました。

  土蔵棟札や「永々日記」「家政歴年誌」「地相図面」「八田村古絵図」などの古文書と共に、1961年(昭和36年)12月7日には八田家書院が山梨県
 指定有形文化財(建造物)に、1969年(昭和44年)11月20日には八田家御朱印屋敷が山梨県指定史跡となりました。

-
八田家御朱印屋敷入口
-
八田家家書院
-
4.朱印てなんのことですか?
 戦国時代から江戸時代初めにかけて武将が、政務や軍事などの命令や許可を証するための文書に押された朱肉印のことです。古くは禅僧の発給文書に
使われていましたが、特に戦国時代に東国大名が花押(かおう)
の代わりに使い【朱印地】朱印状によつて所有の保証された土地で、社寺に下付された例
が多い。
 下の朱印は「武田家朱印」と「徳川家康朱印」です。
-
5.八田家書院のひな祭り
  山梨県笛吹市石和町に八田家御朱印屋敷という大変古くそして由緒ある屋敷があります他。この敷地内に「八田家書院」という処で、笛吹市鄙(ひな)の会・笛吹市女性団体連絡
協議会という団体が主催し、ひな祭りをお粉鄭増した。

 そんな素朴なそして私たちが忘れかけている先達の遺産をじっくり見る楽しみがあります。
 主な展示雛は、
              『雛段飾り』(明治時代・石和町小林家寄贈)、
              『男雛・女雛』(江戸時代・石和町八田家寄贈)、
              『男雛・女雛』(江戸時代・春日居町相川家寄贈)

 その「ひな祭り」のひな壇の様子をスライドショーにしてみました。
Please click it.
-
アクセスは上のアイコンをクリツクしてください。