1.どこにあるのですか?
所在地 山梨県塩山市上於曾(かみおぞ)1651
アクセス JR中央線塩山駅北口より徒歩3分
2.甘草屋敷ってなんですか?
甲州を代表する民家で重要文化財旧高野家住宅を甘草屋敷と呼んでいます。
19世紀初頭の建築と考えられ、24.8mx10.9mの規模で、屋根は大棟を東西に通した切妻造、茅葺屋根、また、南面中央に二段の突き上げ屋
根を設けています。
屋根を支える柱は高く棟まで通る棟持柱で、これに梁を重ねて渡した間に見せ貫を通し漆喰塗りとして妻壁の構造は、優れた美観を呈していま
す。
この棟持柱は、同じく茅葺切妻造民家である「合掌造」や「高塀造(大和棟)」には見られない、甲州の特色を遺憾なく発揮したものです。
甘草(カンゾウ)屋敷・旧高野家
この旧高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家で、古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきました。
高野家の沿革がわかる貴重な資料「甲州甘草文書」(県指定文化財)によると、八代将軍徳川吉宗の享保5年(1720)、幕府の採薬使・丹羽正伯
(さいやくし・にわしょう
はく)がこの屋敷にあった甘草を見分した結果、幕府御用としてその栽培と管理が申しわたされるとともに、一反九歩の甘草園は年貢・諸役を免除され、以後ここで栽
培する甘草は幕府直営の薬草園で栽培するための補給源として、また薬種として幕府への上納を負うこととなりました。
甘草(カンゾウ)
3.甘草屋敷のひな祭り
甘草屋敷(高野家)は、平成5年まで生活の場として高野家の人々が生活していましたが、他の地に高野家を新築したのに伴い、主屋外6棟と外構(塀)、土地約
1ヘク
タールを地元の塩山市に寄付されました。
その後、保存のための修復を行い、3月の桃の節句の時期になると近隣から収集した、江戸時代からの雛人形を飾り一般に開放するようになったものです。
4.甘草屋敷の雛祭りの写真をどうぞ
5.甘草屋敷のことをもっと知りたい方は、次をどうぞ