梁代天監年間(紀元502〜519年)に創建される。この寺は当初、「妙利普名塔院」(みょうりふみょうとういん)と言ったが、唐の貞観年間(627〜6
49年)に寒山と言う僧侶が住むようになったことから寒山寺と呼ばれるようになったと伝えられている。張継の「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の詩はあま
りにも有名です。
 その「楓橋夜泊」は、「月落烏啼霜満天、江楓漁火対熱眠、姑蘇城外寒山寺、夜半鐘聲到客船」、月落ち烏(からす)啼きて霜天に満つ、江楓(こうふ
う)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対す。姑蘇(こそ)城外の寒山寺、夜半の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到る。
 この寺は当初、「妙利普名塔院」(みょうりふみょうとういん)と言ったが、唐の貞観年間(627〜649年)に寒山と言う僧侶が住むようになったことから
寒山寺と呼ばれるようになったと伝えられている。張継の「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の詩はあまりにも有名です。