中国 江南紀行

2009年6月26日から7月3日までの8日間、中国上海近郊の水郷地帯などの「江南地方」を旅した写真で綴る紀行サイトです。
    *下の項目またはサムネイル写真をクリツクすると、スライド・ショーが見られます。

06月27日 無錫 太湖遊覧  「無錫旅情」という尾形大作氏が歌いヒットした曲があるが、もう20年くらい前なので記憶も薄らぎ曲名くらいしか記憶にない。しかし中国人のガイドが職業柄とはいえこの曲を知っているのは驚きだ。もちろん地元の中国人は良く知っており、この歌のおかげで日本人観光客が増えたといっていた。
 歌詞の中にもあるジャンク船が今も健在で観光船として遊覧で活躍している。船は「昔ながらのジャンク」であるが、中身は空調完備とレトロな家具で飾られ観光客を楽しませてくれます。
 このジャンク船、かつては太湖に多数見られたそうですが、近代化の波により見る影も無い状態になってしまったものを、「無錫旅情」の影響か、市政府が数千万元をかけてジャンク風の遊覧船を用意したという話です。
したがつて、このジャンク船は日本人専用で中国人は乗ることができないようです。甲板に出て湖上からの風景、特に三山や鹿頂山を眺めることが出来たのが嬉しい限りでした。
06月27日 無錫 ゲン頭公園

  市街の西南に位置するゲン頭渚は、「太湖」北岸に突き出た充山半島の突端にあるスッポンの
頭(ゲン頭)に似た岩。 周囲はゆるやかな丘のある公園になっていて、「太湖」観賞の景勝地とし
て有名である。 1918年から建設が始められた広い園内には、万方楼、澄瀾堂、光明亭などのあ
ずまやが点在する。 公園の大門から進んで行くと、「太湖佳絶」と書かれた石碑がある。 この言
葉は、中国の文学者、古代史家である郭沫若が、ゲン頭渚からの太湖の美しい眺めを詠んだもの。  
 石碑からゆるやかな坂を登って行くと、中腹に澄瀾堂があり、丘の頂には光明亭がある。 
光明亭からは眼下に雄大に広がる太湖が望め、湖上には景色が美しいことで有名な仙島が浮か
んで見える。  ゲン頭渚から3kmのところにある景勝地、仙島は周囲2.5kmほどの小島。山には
楓の木が茂り、ゲン頭渚から遊覧船が出ているため、春の新緑や秋の紅葉を楽しむため、毎年
大勢の人々が訪れている。 
06月27日 蘇州 世界遺産「留園」  留園は蘇州城の西にあり、拙政園と並び中国四大庭園のひとつ。明代万歴年間に太朴寺少卿
徐秦時の私家庭園の東園として建設された。
 清代の嘉慶年代に改修、園主の劉恕名の姓にちなんで劉園、のちに留園と呼ばれるようになっ
た。
 敷地面積は約2ha。蘇州で2番目に大きい庭園。留園は蘇州にある各名園の長所を取り入れら
れており、東、中、西、北の4つの部分に分かれている。
 東部は住居で重厚な建築が中心。中部は山水、西部は山林、北部は田園の趣を現している。そ
れぞれの空間がたくみに組み合わされており、その配置の妙と華麗な庁堂が目を引く。また回廊
を飾る「漏窓」と言われる透かし窓も見もの。一つとして同じデザインはなく、その一つ一つの窓か
ら見える眺めも異なり、それぞれに完成された一副の絵画を見るようだ。
 また紅楼夢の大観園が再現されている建物や、太湖石の名石冠雲峰、歴代の書道家の書が彫
られ、留園法帖といわれている壁の石碑も貴重なもので一見に値する。
06月27日 蘇州 世界遺産「寒山寺」   梁代天監年間(紀元502~519年)に創建される。この寺は当初、「妙利普名塔院」(みょうり
ふみょうとういん)と言ったが、唐の貞観年間(627~649年)に寒山と言う僧侶が住むようになっ
たことから寒山寺と呼ばれるようになったと伝えられている。張継の「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」
の詩はあまりにも有名です。
その「楓橋夜泊」は、

月落烏啼霜満天、江楓漁火対愁眠。姑蘇城外寒山寺、夜半鐘聲到客船。  

月落ち烏(からす)啼きて霜天に満つ、江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対す。姑蘇
(こそ)城外の寒山寺、夜半の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到る。
06月28日 水郷の街並み鳥鎮・東柵景区  鳥鎮(Wu Zhen)は上海と杭州の中間にある古い運河の街でした。その歴史をたどると唐代にに鎮
として設置されたことから始まり、すでに千三百年以上の時空がこの街を形づくっています。また、
中国の著名な現代文学の作家である茅盾の出身地としても有名です。 街は清代初期の特徴を
残して民家や昭明太子読書処、修真観劇台などの名所旧跡が多く、江南水郷の一つとして人気
の観光地でもあります。
 鳥鎮は河に沿った町並みを丸ごと保存して、古きよき時代を売り物にしたテーマパーク風な感じ
がしました。(街に入るには入場料が必要)。そうは行っても現在もここに住んでいる人もいますの
で、街の外から見物に入ることは可能です。街を保存するためか、かなりの部分が博物館等に改
造していますが、単に観光地としているわけではなく文化財産としての位置づけもしているようで、
おみやげ屋も昔の家屋を利用していても、あくまで周囲の景観を壊さない配慮がされており、写真
撮影やスケツチなどで一日いても飽きないレトロの街です。
06月28日 三国志「呉孫権」の故郷 龍門古鎮   「竜門古鎮」は、浙江省の省都・杭州から車で一時間半の所にあり、明や清の時代の街並みが
今も残り、人々も昔ながらの生活を営んでいる、この集落をそのまま開放した異色の観光名所に
育っている。
 こに住んでいるのは三国志で有名な呉の国の初代皇帝、孫権の末裔とされる人たで、住民約七
千人の九割の姓が「孫」だという。 
 集落は水墨画のように質素で静かなたたずまいだった。中心地の通りは幅五mほどだろうか。こ
ぢんまりした雑貨店が数軒あるだけで、観光客向けの土産店や飲食店はまるで見当たらない。地
元の人たちがのんびり歩いている様子は、一昔前の日本の農村を思い起こしてくれる。
 地元の女性ガイドによると、集落では現代風の建築物は建てられない。その代わり、自宅の修復
などには行政から補助金が出るという。また、住民の生業は主に農業で、副業にバドミントンラケッ
トのガット(網)張りをしているお宅を何軒か見かけた。しかし、暮らし向きは豊かとはいえないが、地
元の人々はのんびりとしており、決してあくせくしている様子は無かった。
 集落の一角には長老たちが重要会議を開く建物があり、孫権の肖像画や家系図を掲げている。
一族には科挙(清代まで続いた官僚登用試験)でトップだった人もいたそうです。 昔ながらの街
並みと人々の素朴な暮らし。猛烈な経済発展が続く中国では、ここはもう「懐かしさ」の対象らしい
。競争に疲れた上海や杭州の都会人が、ここに「癒やし」を求めて車を飛ばして来るのだという。
06月28日 杭州 銭塘江を望む「六和塔」  杭州市を流れる銭塘江の北岸に立つ高さ60㍍の塔。北宋時代に銭塘江の高波を鎮めるために
作ったの祈念塔は木とレンガを材料に八角七層ですが外から十三層に見えるのはなかなか面白
い。
 塔内は草花、人物、鳥、虫、魚などの彫刻もある。塔頂の灯はかつて灯台の役目を果たした。
 南宋の再建以来、何回も修理されたことがあったが、当時の風格が十分に伝えられている。 塔の
最上階まで登ると銭塘江が一望できる。中国ならではの江南風景の眺めは非常に良い。六和とは
、仏教の六合(日本では六方という)の教えに由来している。
 蛇足、銭塘江はの逆流現象は旧暦8月18日の前後の満潮の時に発生し、巨大な波が時速25㌔も
スピードで銭塘江を上ってくるさまは壮観で、毎年多くの国内外観光客がこの現象を見るために訪
れている。
06月28日 杭州 ジャンイモー(張芸謀)演出「印象西湖」  「印象西湖」は、杭州市の西湖西北部岳湖景区の西湖の一角を利用して、湖の底に舞台装置を
設置したり、周辺の樹木や橋などに電飾をつけたりなどかなり大掛かりな舞台設営をしている。
 演出はジャンイモー(張芸謀)他二人の演出家(王湖歌、樊跳)によるもので、「山水実景演出」、
すなわち山と水を表現した演劇。百人を超えるダンサーと光に音響、湖水や湖岸の樹木などを組
み合わせた山水画のような大掛かりなパフォーマンスで、まさにジャンイーモー監督による映画
「HERO」や「LOVERS」の中のワンシーンのような美しい光景が目前に繰り広げられた。
 細かいストーリがあるわけではないようだが、中国古代風な衣装をつけた二人の男女が湖の上
で出会い、そして最後には別れるという演出になっていました。
06月29日 諸葛孔明の子孫の住む村「諸葛八卦村」  「三国志」に登場する武将で、優れた才能を発揮した人物として知られる諸葛孔明の子孫が代
々住み続ける村が、中国・浙江省の中西部、蘭渓市にある、諸葛八卦村だ。
 省都・杭州市から、高速道と一般道を車で約3時間走り低い山あいに広がる田園風景の中に諸
葛八卦(はつけ)村は姿を現した。
 白壁の家並みの間を縫うつづら折りの細い石畳。路地の開け放たれた戸口から薄暗い屋内をの
ぞくと、お年寄りたちがマージャンに興じている。道端には、鳥の羽根で作ったうちわや木彫りの飾
り物など土産物を売る人もいるが、商売熱心というわけでもなく、とにかくのんびりと、ずっと昔から
時間がゆっくりと流れているような風情の村だ。
 600年前、諸葛孔明の27代目に当たる子孫がこの地を訪れ「風水学的に良い」とされたことか
ら開拓したのが村の始まりという。中心部にある池から八本の小道が放射線状に延び、村全体が
八角形の構造となっているのが特徴。
 諸葛孔明を記念する大公堂など、明や清時代の建築物も数多く残る。タイムスリップしたかのよ
うな路地をさまよっているうちに、いつしか自分が今、どこにいるのかさえ見失ってしまう。この村に
は「迷宮」という言葉がぴったりだ。今もここに住み続ける子孫の多くが諸葛姓だ。
06月29日 中国四大美女の一人・西施を祀る古寺「西施殿  中国四大美人とは中国の歴史上において特に美人とされる四人の女性のことです。一般的には
に中国四大美人と呼ばれるのは次の女性をさします。
  ●西施 春秋時代 ●虞美人 秦末 ●王昭君 漢 ●楊貴妃唐
 西施は本名を施夷光といいますが、中国では西子ともいわれています。紀元前5世紀、春秋時
代末期の浙江省紹興市諸ぎ県(現在の諸ぎ市)生まれだと言われています。
 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住
んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施→西施と呼ばれるようになりました。
 越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に復讐のためプレゼントした美女軍団の中に、西施や
鄭旦などがいた。勾践の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、つ
いに越に滅ぼされることになります。呉が滅びた後の生涯は不明ですが、勾践夫人が彼女の美貌
を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また、呉国の人民も彼女のことを、妖術で国王をたぶらかし、国
を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げら
れた。その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中
国では蛤のことを西施の舌とも呼びようになりました。
 また、呉国にプレゼントした際の世話役である范れいに付き従って越を出奔し、余生を暮らしたと
いう説もあります。
 中国四大美人の一人と呼ばれる一方で、いわゆる大根足であったといわれ、常にすその長いス
カートが欠かせなかったといわれている。
06月29日 中国歴代美女の歴史にまつわる「名媛館」と「諸ぎ老街」  中国四大美女の一人、西施の生まれた諸曁(しょうぎ)市は、浙江省(せっこうしょう)紹興(しょうこ
う)市は平成元年に諸曁県が廃止され、諸曁市となりました。
また、諸曁の由来は、川の多い所という意味(諸=多い、曁=川)と、古代皇帝禹が天下の諸侯を
ここに集まるという意味(諸=諸侯、曁=集まる)という説があります。
 西施殿の前を流れる川の対岸に「名媛館」と「諸曁老街」があります。「名媛館」は中国歴代美女
をテーマとしたアミュズメントパークとなっており、名媛館と川沿いとの間に諸曁老街があり、観光
客を対象としたレストランやおみやげ店が軒を連ねていました。
06月30日 中国を代表する文学者「魯迅」の足跡をたどる  魯迅故里は、魯迅の生家である魯迅故居を中心に、魯迅の書籍を展示した魯迅紀念館、魯迅
が子供の頃に通った塾である三味書屋などがあり、街並みも昔の雰囲気を残している。自動車は
通行することが出来ず、入場するのにチケットを買わなければならないので、この一帯がいわば一
つの博物館になっている。
06月30日 蘭渚山麓にある書の聖地「蘭亭」  蘭亭は、王義之(おうぎし)の縁ある場所である。王羲之は書聖と称されており、楷書・行書・草書
を完成させた人物である。
 東晋の永和9年(353年)3月3日、王羲之は曲水の宴を、ここ蘭亭で催した。王羲之が集めた
当時の名士41名は、曲水に盃を浮かべ、流れに乗せた盃が自分の前で止まると、その人は即興
で詩を作る。作れないものは罰としてその場で盃の酒を飲み干した。
 曲水の宴では、26人が37首の詩を作り、その詩集の序を王羲之が書いた。それが有名な「蘭
亭の序」である。原本は、この書をこよなく愛した皇帝の命により、墓の中に埋葬されてしまったた
め、現存していない。写しが残っているが、これは行書を学ぶ者の手本となっているそうです。
07月01日 上海の新しい顔 「上海フィナンシャルセンター
展望台(通称・上海ヒルズ)」
 上海ワールドフィナンシャルセンター(SWFC)は、上海市浦東新区(金茂大厦421mの隣)に位置
する超高層ビル。通称上海ヒルズとも呼ばれています。
 上海市浦東新区世紀大道100にあり、高さ492m。2009年4月現在、アンテナを除き台湾台北市の
台北101(508m)に次いで世界第2位(中華人民共和国で第1位の高さ)の高さで、世界高層ビル協
会から「最高フロア高さ」と「軒高」で世界第1位に認定されています。延べ床面積は東京の六本木
ヒルズ森タワーとほぼ同じ、約38万m²。総事業費は約1250億円を要したそうです。
 94階・97階・100階に展望台があり、100階部分は地上より474mあり、2008年8月の完成時点では
世界で一番高い展望台です。
 100階の床は真ん中部分がガラス張りとなっており、はるか真下をガラス越しに眺めることができ
ますした。94階のトイレの外壁に面した一部はガラス張りとなっていて、ある意味世界一眺めのい
いトイレともいえます。
07月01日 フランス租界の街並みを再現レトロでモダンな
「新天地」
 新天地は、地下鉄1号線黄陂南路駅から南へ進むと過ってのフランス租界を上海歴史の特色の
一つとして再整備した観光ポイントの一つで、上海特色の石レンガを使用した旧建築物を基礎とな
っている。西洋と東洋.及び新旧の建物,スタイルが結合して、新しい雰囲気をかもし出すよう<BR>
に整備しなおしたエリアいる。
 租界をイメージして観光用に作ったまったく新しいスポットかと想像しますが、古き良き時代を再
現し、今や上海の観光地として欠かせない存在になっています。
 上海近代建築のシンボルである「石庫門」建築を改造し、娯楽施設として生まれ変わらせ、新天
地の中を歩いているとまるでタイムスリップしたかのように、20 世紀初頭の上海がそこにあります
。また、建物の中に一歩足を踏み入れると、そこは現代の流行を取り入れたバー、レストラン、ブテ
ィックや映画館が現れるという仕組みになっています。 
07月02日 古代中国の歴史に触れる「上海博物館」 一階
 「中国古代青銅館・中国古代彫像館」
 人民広場の重厚な建物群のなかで一際目を引くのが円形の建物が印象的な「上海博物館」だ。
 上海博物館は1952年に開館した中国古代芸術の総合博物館で、開館当時の場所から変遷し現
在の場所に落ち着いたのは1996年で、3年の工期を経て完成した。建築総面積39200平米、4階建
ての荘厳な造りである。内部はテーマ別に分かれた10個の常設陳列室と、寄贈を受けた3個の展
覧会場がある。所蔵品は約100万点におよび、中でも歴史的に貴重な資料は12万点に上る。品目
は青銅器、陶磁器、書、絵画、彫刻、家具、印鑑、貨幣、玉、少数民族工芸など多岐にわたり、所
蔵品の年代も1万年以上前のものから20世紀のものまでと幅広く、その当時の名作逸品が揃って
いる。また3つの展覧会場では国内外の博物館からの特別展が不定期に行われている。
 一階は中国古代青銅器と中国古代彫像が展示されている。
 
07月02日 古代中国の歴史に触れる「上海博物館」 二階
 「中国古代陶磁館・中国暫得楼陶磁館」
 上海博物館の2階は、その約半分を中国古代陶磁館として青磁、白磁、景徳鎮など貴重な陶磁
器が時代ごとに展示されています。また、フロアーの残れ部分は中国暫得陶磁楼館の陶磁器が
展示されていました。 
07月02日
中国を代表する伝統的中国式庭園「豫園
 上海ではほとんどの道路は東西若しくは南北に走っていますが、黄浦江の側に円形になってい
る道があります。これは、倭寇の襲撃を防ぐために16世紀半ばに作られた城壁だったところで、城
壁は周囲5キロ弱、高さは8メートルあったとされています。しかし、1912年に取り壊され、現在は人
民路と中華路になっています。この円形の道の内側は旧上海城とよばれ、租界時代の上海におい
ても中国人だけが住む地域だったということで、この地域の中心に豫園があります。
 豫園は、1559年に造られ、1577年に約70ヘクタールに拡張された江南の有名な庭園の一つです
。豫園の「豫」は「愉」に通じ、すなわち「楽しい園」という意味。豫園は外灘と並ぶ上海2大観光スポ
ットのうちの一つであり、上海に来た観光客はほぼ必ず訪れる場所です。狭い空間に芸術品のよう
に細かい工夫が多数なされている庭園ですので、じつくり時間をかけて見ると、趣がひしひしと感じ
てきます。
07月02日 賑やかなチャイナタウン「豫園商城」  豫園商場は、かつては上海城の城内に往時の街並みを再現したもので、豫園の西側に広がるシ
ョッピングマーケットで、江南地方の伝統建築が立ち並ぶ中にレストラン・みやげもの店、そして市場
など約100軒もの店が軒をつらね賑わいを見せている広場です。観光客も必ず足を運ぶ上海の名
所のひとつです。