ハトシェプストは、エジプトで最初に女王で、夫のトトメス2世の死後、幼い息子のトトメス3世の摂政となり、後に自らがハァラオと
なった。
 政治的手腕には評価されるものがあり、特に通商に力を注いだ。ハトシェプスト女王葬祭殿の壁画にプント(現ソマリア)との貿易
の様子があるとのことで、ガイドと探したがわからなかった。
 神殿が「神の家」であるのに対して、葬祭殿は、死後の王を奉るための「亡き王の家」であった。つまり、王が死後に来世で再生
復活するための儀式を執り行った場所である。
 駐車場からゲートまで、「タフタフ」という乗り物があり短い距離でしたが、40度近い暑さの中を歩かず、ホツトしました。
 「ハトシェプスト女王葬祭殿」は、1997年11月17日にイスラム原理主義武装グループによるテロ事件で、日本人10名を含む外国
人観光客50名が無差別に狙撃され死亡した場所でもある。