*下の項目またはサムネイル写真をクリツクすると、スライド・ショーが見られます。

06月27日 一路エジプトを目指して  6月12日午前8時40分成田空港行き高速バスに乗る。高速道路は渋滞も無く、予定より20分早く成田空港第2ターミナルに到着する。
 午後3時30分、MS-965は定刻に成田空港を飛び立ち、14時間20分を経てカイロ空港に現地時間翌日の午前0時35分に到着する。
 カイロ空港到着後、両替所で入国ビザ用の切手を15$で購入し、パスポートの白紙部分に張る。当座必要なエジプト・ポンド(LE)を50$で両替する。(280LE)
 その後空港のトイレを使いましたが、1LE必要でした。イミグレーションでは機内で配られた入国カードどパスポードを提出し特に質問も無く、パスポートにスタンプを押してもらうだけでした。
 本日の宿オアシス・ホテル到着、13日午前2時30分。長い一日でした、気温は32度です。・・・おやすみなさい。
06月12日
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19日
エジプのホテル・ライフ *カイロ・ギザのホテル
 オアシス OASIS
 ALEXANDRIA DESERT ROAD CAIRO
*ルクソールのホテル
 ピラミサイシス PYRAMISA ISIS 
 KHALED IBN EL STREET LUXOR
*アスワンのホテル
 エレファンテーネ アイランド リゾート アスワン オペレーティッド バイ ムーベンピ ック
 ELEPHANTINE ISLAND RESORT ASWAN OPERATED BY MOEVE NPICK
 ELEPHANTINE ISLAND P.O.BOX62,ASWAN
*アブシンベルのホテル
 ネフェルタリ NEFERTARI ABU SIMBEL
 ANTONION AYOUYO STREET ABU SIMBEL
*カイロのホテル
 シエラトン カイロ・タワーズ&カジノ 
 SHERATON CAIRO TOWERS & CASINO
 GALAA SQUARE GIZA P.O.BOX 11 CAIRO 11511  
06月13日 その大きさに圧倒される「ギザのピラミッド」

 ピラミット観光のハイ・シーズンは冬です。エジプトの6月は初夏を通り越し、真夏そのもので日中の最高気温は38度もありました。そんなことから午前中に3大ピラミットとスフインクスなどを回ってしまい、早めにホテルに帰りゆっくり寛ぐことにしました。
 「クフ王のピラミット」「カフラー王のピラミド」「メンカウラー王のピラミッド」「スフインクス」と回りましたがピラミッド間の移動は全てバスでした。38度の暑さの中を歩くのは体力に自身があっても、無謀な行為だし、噂に勝る「らくだ引き」の熱烈な歓迎を受ける結果となります。
 「クフ王のピラミッド」は3大ピラミッドの中で一番大きく、高さ146mあります。ピラミットの内部の「王の玄室」までは、盗掘用として開けられた入口から入ることになりますが、一日300名(午前・午後各150名)で、チケットの一括購入が認められておらず、たとえ団体であっても個人購入になり、午前8時のゲートの開門前には並び、開門後にゲート先の「ピラミッド地区専用チケット売り場」でエリアチケトを購入し、検札場所でチェックを受けた後、はじめて「クフ王入場チケット売り場」で入場チケットが入手できる仕組みです。
 今回はホテルをゆっくり出るため「クフ王のピラミット」の中へはいるのを諦め、「カフラー王のピラミッド」に入る事にしましたが、こちらはガラガラに空いていました。 カフラー王のピラミッドの正面には葬祭殿があり、スフインクス横にある河岸神殿跡まで参道が真っ直ぐに通じていました。
 「メンカウラー王のピラミツド」は三つのヒラミッドの中で一番奥にあり、高さも65.5mと一番小さくなります。南側には土饅頭のような王妃のピラミッド墓が三つありました。
*Panorama Gallery
 @カイロ、ギザを望む・・・エジプト・ギザ「クフ王のピラミッド」より
 
Aピラミッド・パノラマから・・・ギザの三大ピラミッドを望む
 
B河岸神殿より・・・三大ピラミッドとスフインクスを望む
06月13日
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19日
ピラミッドの街・ギザ寸景  ギザは、カイロから西へ約13kmkの所にあります。カイロからは色々な交通手段がありますが、「ラムセス駅」を中心に考えると「地下鉄」「大型マイクロバス」「エアコン付きバス」と言う事になります。経済的に余裕があれば「タクシー」が最も便利ですが、名唯たるカイロのタクシーは、定価販売に慣れている日本人にとて乗る前の値段交渉が難点です。でも、これも旅の楽しみという方はボラれないよう頑張りましょう。
 ギザはカイロ市の一部ですので、近代的な都市です。ホテルもレストランも商店も充実していますので、ピラミッド見物に疲れたら、街を散策したりホテルのプールでリゾート・ライフを楽しむ事も出来ます。
 また、日本人の間で話題なた「KFC(ケンタッキー・フライドチキン)」はスフインクスの目線の先にあり、スフインクス側のチケット売り場の前です。特に3階からはギザの三大ピラミットが良く見えます。もちろん夜の「音と光のショー」も見られます。
06月13日 闇の中に浮かぶピラミッド・「音と光のショー」  暑さも少し落ち着いた午後6時10分、ホテル・オアシスを出てギザの街のレストラン「アプシード」で夕食を摂る。ショーの第1回目は午後8時30分から45分間で、少し早めに会場に着いたため、最前列に席を取る。ショーは、ピラミットとスフインクスにカラー・ライトを当て、古代エジプトの歴史を語るショーです。季節にもよりますが一晩2〜3回行なっています。
 私の行った火曜日の第一回目は英語版のナレーションでした。幻想的な雰囲気は十分ありますが、英語版でも全部理解することが出来ませんでした。ショーの始めと終りに古代エジブトの服装をした音楽隊の演奏がありました。料金100LE
06月14日 カイロのシンボル、「ガーマ・ムハマド・アリ  シタデル地域は高台にあり、ガーマの西側広場からは足元にイスラム地域そしてカイロの街が良く見える。
 「ガーマ・ムハマド・アリ」は、オスマン朝支配下のアラブ諸国のなかでいち早く基盤をととのえたものであり、トルコのイスタンブールのガーマに真似てつくられたものです。その特徴は、巨大なドームと先の尖った2本のミナレットで、エジプトの外のガーマには見られません。建物内部の装飾も外部以上で、シャンデリア、センブ、ステンドグラスの光が折り成す雰囲気は幻想的で、荘厳でもあった。
 中庭にはフランス政府からルクソール神殿のオベリスクを贈ったお返しにもらった時計塔があったが、残念ながら現在は動いていない。 ガーマの内へはお祈り時以外には、誰でも自由に入る事ができた。
06月14日 エジプトの秘宝をこの目に「エジプト考古学博物館」  トゥトアンクアムンツタンカーメンス)王の黄金のマスクで世界的に有名な博物館です。
 収蔵品の数は膨大で、これをじっくり見るには日数をようすると思います。残念なのは貴重な遺産を展示するにしては、建物が若干お粗末という感がし、空調も整備されていると思いますが、室内の温度が高く一日いるの辛いですね?、
お館内の写真撮影は一切禁止されていますので、スライドショーはミュージアムで購入したガイドブックを利用しています。
2階併せて105の展示室があり、別にマミールーム(ミイラ室)がありました。
06月14日
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15日
ファラオが眠る地、ルクソール寸景  カイロ空港を午後5時10分発のMS405便は定刻の午後6時15分にルクソール空港に着いた。
 一歩ターミナル・ビルを出ると夕刻とはいえ頬をなでる風は、猛烈な熱風で温風ヒータの中に飛び込んだような錯覚に襲われる歓迎を受けました。・・・なんと夕刻の気温が38度と・・・やっとエジプトらしい気温にあいました。 ルクソールは、カイロからナイル河を約800km程遡ったナイル河中流域にあり、過ってはテーベ
と呼ばれ、首都として栄華を極めた時代もありました。ナイル河西岸はの砂漠地帯は、古代エジプト人にとって「太陽が沈むあの世の地」で、墓でもありました。また東岸にはエジプト随一と思われる「カルナック神殿」があります。 今回はルクソール到着翌日の6月15日午前中、西岸の「王家の谷」「ハトシェプスト女王葬祭殿」「メムノンの巨像」、午後東岸の「カルナック神殿」「ルクソール神殿」を回りました。
 「ハトシェプスト女王葬祭殿」では数年前に起きた観光客を狙ったテロ事件を思い起こされました。
 ルクソールの街はカイロの様な騒音と交通マナーの悪さが無く、ホテル前の通りをゆったりと散策しみやげもの店を回ることが出来ました。しかしここでも観光馬車・お土産屋ではエジプト流の猛感激を受けました
06月15日 新王国時代の岩窟墓・「王家の谷」  ルクソール西岸の遺跡群を見るためにはナイル河を渡ることになるが、97年にルクソール橋が完成し、以前東岸と西岸をつなぐ交通手段だったフェリーは、現在は地元の人以外はあまり使わなくなっている。
 今回は「王家の谷」「ハトシェプスト女王葬祭殿」「メムノンの巨像」の順に回ることとした。
 「王家の谷」には62の墳墓が確認され、8墓が公開されているが、そのうち「ラムセス9世」「トゥトアンクアムン(ツタンカーメン)」「ラムセス3世」「ラムセス4世」の墓に入ったず、いずれも内部の写真撮影は禁止されていた。
たまたま 「ラムセス3世の墓」の入口で聞くとフラツシュを焚かなければOKということで、一枚だけ壁画を撮りましたが、何人かの人は監視人から注意を受けフィルムを抜き取られていました。原因は入口のおじさんの会話が怪しかったのだと思います。
 ほとんどの墓が新王国時代に岩を掘削して造られているので、地表からは階段を下り、前室などを経て玄室に至っています。
 *「王家の谷」ではありませんが、修復中ということで「ネフェルトアリの墓(王妃の谷)」が見られなかった事が残念でした。

*Panorama Gallery
 ルクソール西岸・・・王家の谷
06月15日 自らファラオとなった「ハトシェプスト女王の葬祭殿」  ハトシェプストは、エジプトで最初に女王で、夫のトトメス2世の死後、幼い息子のトトメス3世の摂政となり、後に自らがハァラオとなた。政治的手腕には評価されるものがあり、特に通商に力を注いだ。
 ハトシェプスト女王葬祭殿の壁画にプント(現ソマリア)との貿易の様子があるとのことで、ガイドと探したがわからなかった。
 神殿が「神の家」であるのに対して、葬祭殿は、死後の王を奉るための「亡き王の家」であった。
つまり、王が死後に来世で再生復活するための儀式を執り行った場所である。
 駐車場からゲートまで「タフタフ」という乗り物があり短い距離でしたが、40度近い暑さの中を歩かず、ホツトしました。
 「ハトシェプスト女王葬祭殿」は、1997年11月17日にイスラム原理主義武装グループによるテロ事件で、日本人10名を含む外国人観光客50名が無差別に狙撃され死亡した場所でもある。
*Panorama Gallery
@ ハトシェプスト女王葬祭殿全景

A ハトシェプスト女王葬祭殿 第2テラスから第2柱廊を見る
B ハトシェプスト女王葬祭殿 第2柱廊下上部
C ハトシェプスト女王葬祭殿 第3テラス 中央・岩窟至聖所
06月15日 1対の巨大坐像「メムノンの巨像」  メムノンの巨像は、新王国時代絶頂期の王アメンホテプ3世のもので、プトレマイオス朝には、ギリシア神殿のものされ、その名前がついた。
06月15日 エシプト最大級の遺跡「カルナック神殿」  40度近い暑さもエジプト最大級の遺跡を見たいと言う気力だけで、ルクソール東岸の「カルナック神殿」を回る。
 カルナック神殿は北から「モンツ大神殿」「アムン大神殿」「ムート大神殿」の三つからなっており、特に「アムン大神殿」はエジプト最大規模の遺跡だと言われている。スフインクス参道入口にチケット売り場があり、ガイドさんがチケットを買っている間、参道手前のおみやげ店を覗くが、我々以外に全く観光客の姿が見えず、現地人いわく日本人ほど暑さに強い人間はいないと揶揄されてしまいました。おかげで ゆっくり回ることが出来ました。
 「アムン大神殿」は、歴代のファラオがアムン信仰の地に、神殿、オベリスク、神像などを寄進し、巨大な建物群になったもので、スフインクス参道、第1、第2塔門、大列柱室を経て奥に行ったところにある、巨柱が134本並んでいる様は壮観であった
06月15日 教会やガーマ跡も見られる「ルクソール神殿」  ルクソール神殿は、「カルナック神殿」の「アムン大神殿」の付属神殿として建てられたと言われている。チケット売り場の入口から入って左側にある参道は、かっては「カルナック神殿」と結ばれていたが、現在は300m位い行ったところで途切れている。また、右側神殿正面の第1塔門左側にオベリスクが建っているが、これもかっては右側のオベリスクと1対になっていたが、右側のオベリスクはなんと、パリのコンコルド広場に立っている。第1塔門の前にはラメセス2世の坐像と立像があり、第1塔門を入るとラメセス2世の中庭、列柱室、アメンホテプ3世の中庭と続いている。
 ガーマは、神殿の中央部を壊して建てられており、ガーマ・イル・ハッガーグと呼ばれている。
 ルクソール神殿は、西側にナイル河沿いのメイン・ストーリトの「ナフル・イン・ニール通り」があり、東側はルクソールの市街に接しているため、ホテルなどからのロケーションには恵まれ、徒歩で簡単に行くことが出来る。
06月16日

18日

19日
ヌビアの故郷「アスワン&アブシンベル寸景」  アスワン、アブシンベルなどの上エジプトに入る場合は、1997年11月17日のイスラム原理主義武装グループによる「ハトシェプスト女王葬祭殿の無差別テロ事件以来、警備が厳しくなり、ミーティング・ポイントと呼んでいる集合場所に観光バス・観光マイクロバス等が集結し、コンボイと言う隊列を組んで移動することになっていました。コンボイの前後にはツーリスト・ポリスの警備車が付き、また観光バス等の車両にもツーリスト・ポリスが乗り込みました。
 アスワンはヌビア地方のナイル河上流で、背後に「アスワン・ハイタ゜ム」、さらに遡ると「アブシンベル神殿」へと続いている。観光シーズンは冬場で、シーズン中はヨーロッパ人の避寒地として、五つ星のホテルと共に豪華客船によるクルージング港ともなっていました。
06月16日 ホルス神像のレリーフが多彩、エドフの「ホルス神殿」  ルクソールのホテルを午前6時45分に出発、日程も半ばにかかり疲れが残っているだけに眠い、「郷に入れば郷に従え」ということで、コンボイのミーティング・ポイントに午前8時までに到着できないと、アスワンより奥に入れないため止むを得ません。
 エドフ町へは9時を通り過ぎ、ハヤブサの「ホルス神殿」に9時頃到着。この「ホルス神殿」は保存状態が良く、遠くからも塔門が散見で、遺跡内でもホルス神の像のレリーフが数多く見られた。また、第1列柱の頂部にはパピルスのレリーフ</FONT>も見られた。レリーフは現在も補修中で、補修作業をしている作業員が面白かったので写真を撮ろうとしたところ、例によってバクシーシを要求された
06月16日 ホルス神とソベク神(ワニの神)のための「コム・オンボ神殿」  ナイル河の眺望とナイル河に張り出したブーゲンビリアの美しい丘に佇まいする「コム・オンボ神殿」は、ルクソールから南へ170km弱の距離があり、アスワンへもまだ46kmの距離を残しています。また、ナイル河東岸にあり、町の中心地の駅付近からも4kmほどはなれています。
 建物は一見、ギリシアのアクロポリス神殿にどこか似たかんじがしました。「コムオンボ神殿」はホルス神とワニの神であるソペク神のために建てられたと言われていますが、2対のワニのミイラも安置されていました。
06月16日 アスワンでフルーカ(帆かけ船)に乗る  アスワンのナイル河のほとりには、クルージングの豪華客船が何十隻と停泊している。その間をフルーカ(小さな白い帆掛け舟)がまた何十隻と客待ちしている。
 ほとんどのフルーカの船長はヌビア人で明るく楽しい人たちでした。アスワンで泊まったホテルはないる河の中洲のエレファンティネ島で、東岸のホテル専用の乗り場から大型のフルーカに乗って渡る事になった。
 強烈な日差しで気力も失せてしまいそうであったが、ナイル河の川風を受け、約1時間フルーカでのクルージングで疲れも癒された。フルーカにはヌビア人の船長とその息子の二人で、操舵と太鼓を叩いてフルカの民謡を歌ってくれ、盛り上がったところで我々も踊りの輪に加わる事になった。
06月16日 土の匂いのするシンプルな街アスワン寸景  アスワンの街は、ルクソールソから更にナイル河を200km遡ったところにあり、街はナイル河東岸に開けています。この地から奥地にかけては、かってヌーバ族(ヌビア人)が支配していたもので、街を歩いていても一目でヌビア人とわかる肌の色の黒い彼らに気ずきました。またヌビア人はアラビア人に比べ人なつこいと感じました。
 アスワンのメインはナイル河沿いに2km、幅300mほどの部分にホテルをはじめ会社・官庁があり、シンプルな街ですので、観光馬車で30分ほどで一回りできました。特にアスワン駅前を南にのびる「スーク通り」は、ヌビア人の生活のための市場ですが、観光客も結構訪れており必見だと思います。
 なお、アスワン・ダムは街から約10km、アスワン・ハイダムは更に10kmほど上流に建設されています。
06月17日 聖なる島イシス(フィラエ)神殿  イシス神殿は、アスワン・ハイタ゜ムの約10km下流のナイル河の中にあるフィラエ島にあり、古代エジプトでは聖なる島とされていたが、アスワン・ハイダムの建設で水没する運命であった。しかし、1980年に隣のアギルキア島に移転が完了した。
 イシス島へのボート乗り場は、アスワン・ダムから2kmほど上流のところにあり、5〜6分ほどで渡ることが出来る。 神殿群は、島の西側に「イシス神殿」、東側に「ハトワル神殿」、北側に教会がありコプト十字架が残っている。特に「イシス神殿」は最も見ごたえがあり、イスト神がホルス神を誕生させたシーンが、至聖所にレリーフとして残されていた。

*Panorama Gallery

イシス神殿よりアスワン・ダムを望む
06月17日 往時を偲ぶ「アスワン・ダム」  アスワン・ダムは、アスワンの街から「アスワン空港」あるいは「、アブシンベル」へ行くときには必ずダムの上を通ることになりますが、街の中心から南に10kmほど行った所にあります。 イギリス支配時代の1898年に着工し、長さ2140m、高さ51mで、1902年に世界最大のダムとして完成しました。ダム建設の目的は、ナイル河をコントロールしエジプト農業の生産性向上でしたが目的は達成できず、結局「アスワン・ハイダム」を建設することになりました。
06月17日 ナセル湖の幻影「アブシンベル神殿」  アブシンベル神殿は、エジブトの最南端にあり、隣国スーダンへは20kmほどで入る事が出来る。
また、アスワンの街からは280kmで、鉄道が通じていないため、アスワンから車による陸路か、カイロからアスワン経由で航空機を利用することになる。陸路の場合は例によって、アスワンからコンボイに警護されることになります。
 アブシンベル神殿はアスワンハイタ゜ム建設により、水没の運命にあったが、ユネスコによる国際キャンペーンにより救われ、1964年から4年の歳月をかけ、元の場所から60m上の場所に移動し救われた遺跡です。
 神殿は「大神殿」と「小神殿」が隣同士となっており、大神殿の正面に4体のラメセス2世像があり、その中央から神殿最奥の至聖所には一年に一度ナイル河越しに太陽の光が差し込むとの事です。
06月17日 ナセル湖の夜風に吹かれ「音と光のショー」  ホテルでの早めの夕食後、午後7時30分ころアブシンベル神殿に向かう、神殿の背後には日没直後の赤みを帯びた残光が神殿を神秘の世界へと誘ってくれる。
 大神殿と小神殿の中間付近に「音と光のショー」のための座席が常設されており、座席の背後からはナセル湖の夜風が頬をなでてくれました。
 ショーは、神殿の岩山をスクリーンとして、ラメセス2世と王妃ネフェルトアリの夫婦愛、またヒッタイトとの抗争をとおして、ラメセス2世の偉大さをドラマ仕立ての歴史絵物語として紹介する構成で、素晴らしい音響効果と美しい映像で、改めて長い長いエジプトの歴史を感じました。
 なお、座席の下にイヤホン・ジャックがありナレーションの言語が選択できるシステムとなっていましたが、当夜は日本人観光客が90%近くを占めていたため、日本語のナレーションでした。
06月18日 神秘な夜明け「ナセル湖とアブシンベル神殿」  午前5時30分にホテルを出発、アブシンベル神殿の日の出は6時15分と言う事で時間たっぷり有り、爽やかなナセル湖の風邪を受けつつ、まずは徐々に目覚める大神殿を撮影、残念ながら大神殿が燃えるよう赤く映える様子は見られませんでした。
 エジプト奥地の神秘的な日の出はナセル湖をとおし記憶に留めることが出来ました。
 昼・夜・朝とアブシンベル神殿を堪能でき、改めてエジプトの歴史の深さを幹事避けられました。
 これからホテルに帰って朝食ですが、午前9時30分の出発まで時間がありますので、もう一度プール飛び込むつもりです
06月18日 エジプトが誇る現在の巨大物「アスワン・ハイダム」  アスワン・ハイタ゜ムは、アスワンの街から上流(南方)約12kmの地点のナイル河を堰き止めた、エジブトが誇る現代の巨大構造物で、1970年にドイツとソ連の援助で完成しました。
 ダムの大きさは、ナイル河を堰き止めた長さ3600m、高さ111mで、また体積は2億379万立方メートルとギザのピラミットの体積の92倍に相当します。新たに出現したナセル湖も巨大で、ダム地点から上流に隣国スーダン領域までの500kmに及び、その面積は琵琶湖の7.5倍になります。
 ダムの完成により流水が調整され、洪水が発生することはなくなり、またナセル湖に貯められた水で、砂漠の農地化が進みました。反面これまで洪水がもたらした肥沃な土砂が無くなり、農業生産に新たな問題が生じているのも事実です。
06月18日 高い技術力に賞賛「切りかけのオベリスク」  アスワンの中心街から南東に約1kmほどの所に「切りかけのオベリスク」はあります。
 ゲートを通過した直ぐ左側に管理事務所に併設された会議室があり、一般には開放していませんが、午後2時頃の猛烈な暑さだったのを考えてくれ、開放してくれました。エアコンが効いているうえ、プロジェクターで約10分ほどでしたが、「切りかけのオベリスク」の成り立ちを見せてくれました。
(英語バージョンでした。)
 「古代の石切り場」での優れた石切技術には驚かされました。残念ながらなぜ石切がやめられたのかは、判らず終いでした。
06月18日

19日
アスワンからギザへ「ワゴンリーの旅」  ナイル・エキスプレスは定刻のPM6:50にアスワン駅を出発しました。車内は古びているとは言え1等のコンパートメントを独り占めし快適でした。一応、エジプトでは最高級列車となっていますが、総じて言えることは、どの列車も 一度も列車を洗ったことが無いようですすけて、外観は汚いという印象を受けました。列車には1車両に一名の車掌さんが乗っていて、比較的親切に世話をしてくれました。  食事は航空機のエコノミー並みで、味もまーまーと言うところで、車掌さんが配達して
くれました。エジプトはイスラム圏ですので、アルコールは飲みませんが、列車内ではビールを注文しましたが、すぐ届けてくれます。支払いはUSドルで1ドル50セントでした。
 ビールを飲みながら、暮れなずむナイル河沿いの流れる景色を眺めていると、言い知れない旅愁を感じ、ああエジプトに来てよかったなーと言う想いが駆け巡りました。
 翌朝、8:10分にギザ駅に到着しました。列車はカイロまで行きますが、私は一つ手前のギザ駅でおりることにしました
06月18日
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19日
ナイル河の豊饒「カイロ寸景」  カイロはナイル河の恩恵を受けて発達した都市で、それ故に権力争奪の嵐にも晒され現在に至った都市だと思います。
 特にカイロは古い都市を壊してその上に新しい物を作ったのではなく、その隣に新しい都市を作ってきたのがもので、オールド・カイロから北へ街は広がり、その東北部にイスラーム地域があり、更にその北にエジプト鉄道の中心である「ラムセス駅」があり、パッチワーク模様の様をなしている。そんなカイロでの短い時間に思いつくままに撮った写真です。
06月19日 4ッのピラミドを造ったスネフェル王の謎「ダフシュール」  ダフシュールへは、カイロからバスで行ったが、約30分ほどでカイロの郊外のサッカーラ村の「ダフシュール集落」の少し手前の「マエンシェーヤ集落」を右折して程なくの所にありました。
 ダフシュールには2ッのピラミッドがある。一つは「赤のピラミッド」、もう一つは「屈折ピラミッド」ですが、ピラミッドを造ったとされるスネフェル王は、全部で4ッのピラミッドを造ったとも言われているが、それは謎のままになっている。
●赤のピラミッド
 積み上げられた石が赤っぽいので、そう呼ばれていますが、二等辺三角形の最も古い真正ピラミッドとです。ピラミッドの内部への入口は、30mほど登ったところにありましたが、玄室までの階段は下りですが、後にそっくり返ったような不自然姿勢をとるため、ピラミッド・パワーですか、後日「筋肉痛」になる人が多いのと、蝙蝠の排尿のアンモニア臭が歓迎してくれると言うことでしたので、私は遠慮しました。グループの仲間の何人かは次の日に筋肉痛を訴えていました。
●屈折ピラミッド
 概ね真ん中付近で傾斜が折れ曲がっていました。ガイドの説明では下部が52度、上部が43度とのことで、確かに上の方が緩やかな傾斜です。理由は「崩れて失敗した。」「王の死期が迫り工事を急いだ」などの推測が言われています。
06月19日 横たわるラムセス2世像「メンフィス」  メンフィスは、ダフシュールからマリオテーヤ運河沿いに5〜6北上し、ミト・ラヒーナ村で右折して直ぐのところあります。
 メンフィスは、アラバスター(雪花石膏)製のスフインクスや巨像の「横たはるラムセス2ム世像」でも有名ですが、過って首都としての面影は無く廃墟同然の遺跡だと言えます。遺跡の入口を入った右側の建物の1階にラムセス2世像は横たわっていました。
 この巨像は像長15mもあり、2階の回廊から見下ろすとその全体像がよくわかります。この建物から奥(東方向)に内庭を進むと比較的端正な面立ちのアラバスター製スフインクスに会えます。また、北側にはプタハ神を祀った神殿跡や聖牛アピスのミイラを作るために使った解剖台がありました。
06月19日 階段ピラミッドの村「サッカーラ村寸景」  サツカーラ村は、ギザからマリオテーヤ運河沿いのサッカーラ街道を南へ約10km行ったところにあります。カイロからも13km程ですが、カイロの華やかさとはかけ離れた貧しい農村です。そんな貧しい村でも子供の笑顔は明るさがありました。
 また、サッカーラ街道沿いにはカーペツトを織るカーペット・スクールも何軒かありましたありますが、スクールといっても観光客向けに実演して見せ、即売するといたものでした。
06月19日 階段ピラミッドを中心とするピラミッドコンプレックス「サッカーラ遺跡」  サッカーラ遺跡は、ギザから南へ約10kmの所にあり、独特の形でジォセル王が建設した階段ピラミッド有名です。なぜ有名かというのは、エジプトのピラミッドの中で最初に造られたといわれているからです。またこのピラミッドを中心とした、広大なピラミッドコンプレックスは、「マスタバ墳群」「ウナス王のピラミッド」「セケトム王の未完成のピラミッド」などから構成されています。 チケット売り場は、サッカーラ村の外れに有り、ここから階段ピラミッドの入口までバスでは7分く
らいで行けましたが、高温下を歩いている人も見かけましたが、サツカーラ遺跡は広いので入口に待機しているラクダや馬車を利用して体力を温存した方が良いと思います。ただし例によて値段交渉は欠かせません。
06月19日 ナイル河ディナー・クルージングとbelly dance shaw  エジプト最後の夜は、ナイル河クルージングとベリーダンス・ショーで楽しい一時を過ごした。ホルからナイル河沿いのガマル・アップデル・ナセル通りを車で数分の所にある桟橋から、午後7時にクルージングが始まった。
 エジプト料理のデイナーの後、ショーは始まった。ベリーダンスの発祥は定かでないが、クレオパトラも踊ったと言われているが、中近東から伝えられたものようで、お腹(belly)の動きに特徴があることから呼ばれるようになった。しかし中近東ではベリー・ダンスとは呼んでいないようです。
 ショーは女性ダンサーの妖艶の踊りの後、男性ダンサーの旋舞があり、最後は例によって乗船者も参加して踊るという趣向でした。
06月19日 迷路のみやげ物屋「ハーン・ハリーリ」  ハーン・ハリーリのバザールは、カイロ中心部タフリール広場の概ね真東2.73kmほどの所にあり、バザールの東側には「ガーマ・ホセイン(イスラム寺院)」と「フセイン広場」があります。 バザールは東西400mほどの中に観光客目当ての金銀細工店やみやげもの店、飲食店などが
迷路のような小路にひしめき合い、観光客に呼びかける声と小路の雑然として雰囲気に心躍らせる不思議な魔力があります。
 昔から変わらないシーシャ(水たばこ)を吸う人を見ていると見飽きず、カバーブの焼ける匂いにさそわれ、マクファ(喫茶店)で一休みし、エジプト最後の一時で旅の締めくくりをする思い出でした。
- エジプト紀行地図 - エジプトで訪れたけところの地図が表示されます。

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