瀧谷寺は「越の国第五番」「北陸第十一番」「北陸白寿第六番」観音霊場で、開山されたのは睿憲上人です。
 睿憲上人は中国に渡ろうと西海に出たところ難破し、永和元年(1375年)に東尋坊の西、崎浦の浜に漂着されたといわれています。
 睿憲上人がある時、安島雄島の三保明神に参籠され「有縁(うえん)の霊地を与え給へ」と祈願をこめたところ、夢の裡に一つの
宝珠を捧げた尊容があらわれ、「宝珠の留るところは、これすなわち有縁の地なり」と、尊容は珠を空中高く投げられました。この
宝珠は光を放ってはるか巽の方へと飛び去りましたが、その宝珠は、瀧谷寺の竜泉庭<のあたりに留まっていました。上人は拝跪
し、恭しくこれを手中におさめられました。時は永徳元年(1381年)、上人はここに寺基を定められ、当時この山谷を流れ出る渓流が
淙々と滝をなしていたことから、寺号を「瀧谷寺」と名付けました。