松山城は、松山市の中心部である標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸、三之丸からなる広大な平山城です。 加藤嘉明公が16022年がから築城を開始し、わが国の築城史上、最長の歳月(四半世紀)を完成までに要した四国最大の城郭で、姫路城と並ぶ連立式の天守を有しています。 加藤氏は、城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生氏を経て1635年から明治維新までの235年間に渡り、親藩大名であった松平家の居城となりました。 わが国最後の完全な城郭建築と言われている大天守の最上階からは、360度の眺望度がひらけ、松山平野や瀬戸内海などを見渡すことができます。 日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されておらず、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が 二之丸から本丸にかけてあり、また、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡に指定されている。 なお、松山城本丸は標高132mの山頂にあるため、歩いて登るのは大変なので、8合目付近まで運行しているロープウェイやリフトを使って登るのがおすすめです。(チケットは 共通券となっていて、並行しているため、どちらでも好きな乗り物を選べるのが特徴です。 |