四国・三県(高知・愛媛・香川)感動の旅

2009年9月22日から9月24日までの3日間、高知・愛媛・香川の四国三県を廻ってきましたので、
  「四国・三県(高知・愛媛・香川)感動の旅」写真で紀行を綴ってみました。  
          

    *下の項目またはサムネイル写真をクリツクすると、スライド・ショーが見られます。

09月22日 月の名所・桂浜  月の名所として名高い高知県の桂浜は、龍頭岬と龍王岬の間に弓状に広がる砂浜です。裏山には浦戸城趾があり、戦国の昔、長宗我部元親の居城として四国統一の中心となったところです。
 桂浜公園には、桂浜水族館、土佐闘犬センター、文学碑など見どころとともに、龍頭岬には坂本龍馬像があり、全国の龍馬ファンが訪れます。また、山頂には坂本龍馬記念館があります。
09月22日 幸運の城 高知城
 関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、慶長6年(1601年)大高坂
山に新城の築城工事を始め、慶長8年(1603年)に城の大部分が完成、入城しました。享保12年
(1727年)城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失しましたが、宝暦3年(1753年)ま
でに創建当時の姿のまま再建されました。その後は、自然災害や明治維新による全国的な廃城
の嵐、太平洋戦争など幾度となく襲った危機を乗り越え、「南海道随一の名城」と呼ばれる優美な
姿を残しています。
 平成15年には、築城400年、再建から250年を数え、本物の城の持つ偉容が訪れる人々を今も歴
史のロマンに誘っています。
09月23日 海と自然の岬・足摺岬  足摺岬は、高知県土佐市水市の足摺半島の先端にある岬です。半島南東端の黒潮の打ち寄せ
る断崖は約80mの高さがあり、周囲はツバキ・ウバメガシ・ビンロウ等の亜熱帯植物が密生してい
ます。また沖合いは鰹の好漁場で、一方では台風銀座とも呼ばれています。
 灯台への起点になる広場には足摺半島西岸、中浜の漁師であり、幕末の政局に大きな役割を果
たしたジョン万次郎(中浜万次郎)の彫像が太平洋の彼方のアメリカを望見し立っていました。
09月23日 四国霊場38番札所金剛福寺  足摺岬への遊歩道の始る駐車場前に「金剛福寺」はあります。この寺は十二万平方㍍の広大な
境内に本堂をはじめ諸堂が点在しています。
 弘仁年間に弘法大師はこの地を巡錫して千手観世音を感得し、日本の最南端に位置することか
ら観世音の理想の世界(補陀洛法界)の地として朝廷へ奏聞し、嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅
額を賜り、弘仁十三年、伽藍を建立し、千手観世音を安置されました。
 岬の突端に立つと、紺青の海原が無限にひろがる。ここには弘法大師の七不思議の伝説がいま
なお生きつづけています。
09月23日 日本最後の清流・四万十川  四万十川(しまんとがわ)は、高知県の西部を流れる渡川水系の本川で、全長196kmと四国で最
長の川です。四万十川の特徴は、本流に大規模なダムが建設されていないことで、このことから「
日本最後の清流」と呼ばれ、静岡県の柿田川・岐阜県の長良川とともに「日本三大清流の一つ」と
も呼ばれています。また、こんな特徴もあります。それは四万十川が支流も含めて47の沈下橋が
あることで、高知県では生活文化遺産として保存する方針を決定しています。 
 四万十川も元々の正式名称は「渡川」と呼ばれていましたが、平成6年7月25日に「四万十川」と
正式に改名されましたが、一級河川の名称変更はこれが初めてで、この川が「日本最後の清流」と
して、全国的に有名となり認知されたことがその理由になっています。
09月23日 城郭建築史上、最末期の天守・伊予松山城  松山城は、松山市の中心部である標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸
、三之丸からなる広大な平山城です。
 加藤嘉明公が16022年がから築城を開始し、わが国の築城史上、最長の歳月(四半世紀)を完
成までに要した四国最大の城郭で、姫路城と並ぶ連立式の天守を有しています。
 加藤氏は、城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生氏を経て1635年から明治維新までの235
年間に渡り、親藩大名であった松平家の居城となりました。
 わが国最後の完全な城郭建築と言われている大天守の最上階からは、360度の眺望度がひら
け、松山平野や瀬戸内海などを見渡すことができます。
 日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦
根城しか存在が確認されておらず、韓国の倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸
にかけてあり、また、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡に指定されている。
 なお、松山城本丸は標高132mの山頂にあるため、歩いて登るのは大変なので、8合目付近ま
で運行しているロープウェイやリフトを使って登るのがおすすめです。チケットは共通券となってい
て、並行しているため、どちらでも好きな乗り物を選べるのが特徴です。
09月23日 日本最古の名湯 道後温泉  夏目漱石の「坊ちゃん」で有名な3000年の歴史を誇る日本最古の名湯・・・道後温泉。明治27年
建築の大屋根母屋造り木造3階建ての堂々たる姿で、温泉街の中心に構える「道後温泉本館」。
その一番上に据えられた「振鷺閣」から1日に3回打ち鳴らされる「刻太鼓」が、今も道後に時を知ら
せてくれる。「松山城」の北東に湧く道後温泉は夏目漱石、正岡子規、高浜虚子をはじめとする“明
治文学ゆかりの地”。町のあちこちに句碑が建てられ、漱石の「坊ちゃん」の舞台としてはあまりに
も有名。「坊ちゃん列車」で訪れ、「道後温泉本館」のお湯に浸かり、湯上りに「坊ちゃん団子」をほ
おばり、そうして浴衣姿で漱石を偲ぶのが道後温泉の風景にピッタリ、当時と同じ思いを味わって
みよう?
09月24日 感動の空中散歩 瀬戸大橋タワー  瀬戸大橋の開通を記念して、1988(昭和63)年3月20日に「瀬戸大橋博覧会」が開催され、香川
県側の会場となったのが坂出市番の洲の一角で、会期終了後の跡地は瀬戸大橋記念公園として
再整備され、記念館とタワーは引き続き観光施設として使われています。
 瀬戸大橋タワーは展望室部分が回転しながら昇降するタイプのものでは世界一の高さだという
のを宣伝し、「100人乗りの客室が、地上132mまでゆるやかに回転しながら上昇!眺望も素晴ら
しい、ごきげんなスカイ・ウォーク」と言うことでがんばっていますが、博覧会終了後は客足もとだ
え閑散としていました。
 タワーは、下から見ていたより、予想以上に高く感じ、高さ108mからの景色は最高でした。特に、
瀬戸内海の島々と海の色が綺麗でした。乗っている時間は約10分で、最高地点108mで3回転し
て下りてきます。座っているだけで360度を眺めることができるのでスゴイと思いますが、あっとい
う間に下り始め、ゆっくり景色を楽しむことはできませんでした。
09月24日 琴平・四国のこんぴらさん◎金刃比羅宮   讃岐のこんぴらさんの名で親しまれている金刀比羅宮( ことひらぐう) は、琴平山(象頭山)
の中腹に鎮まります。

 「玉藻集(たまもしゅう)」(小西可春編・延宝5年<1677年>)や、「讃州府志(さんしゅうふし)」
(菊池武賢編・延享2年<1745年>)などには、それぞれ「この山の鎮座已(すで)に三千年に向
(ちか)づく」とあります。
 初め、大物主神を祀(まつ)り、往古は琴平神社と称しました。

 中古、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)の影響を受け、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげ
ん)と改称し、永万元年(1165)に相殿に崇徳天皇を合祀する。その後、明治元年(1868)に神
仏混淆(しんぶつこんこう)が廃止されて元の神社に復(かえ)り、同年7月に宮号を仰せられて、
金刀比羅宮と改称し、現在に至っています。
09月24日 自然と造形の美が織り成す空間美 栗林公園  国の特別名勝に指定されている公園の中で最大の面積を持つ栗林公園は、紫雲山を背景に6つ
の池と13の築山を巧みに配し、江戸時代初期の回遊式大名庭園として、優れた地割り、石組みを
有し、木石の画趣に富んでいる。
 元亀、天正の頃から当地の豪族であった佐藤氏によって、西南地区(小普陀付近)に築庭された
のに始まるといわれ、その後、寛永年間(1625年頃)讃岐領主生駒高俊公によって、南湖一帯が
造園され、寛永19年(1642年)入封した松平頼重公(水戸光圀公の兄君)に引き継がれた。
 以来5代松平頼恭公に至る100年余の間、歴代の藩主が修築を重ねて延享2年(1745)に完成さ
せたもので、明治維新に至るまで松平家11代228年にわたり、下屋敷として使用された。
 明治4年(1871年)高松藩が廃され、新政府の所有となったが、明治8年(1875年)3月16日、県立
公園として一般公開され、現在に至っています。