故宮博物院は、1924年に北洋軍閥の一人である馮玉祥が溥儀を紫禁城から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた美術品
などを一般公開したのが始まりである。 博物院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して
多様な陳列を行っていた。
 その後、蒋介石の国民政府(1948年からは中華民国政府)は博物院の所蔵品を戦火や日本軍から守るべく重要文物を南方へ疎開させ南京市
に国立北平故宮博物院南京分院保存庫に移動させた。
 第二次世界大戦後、運び出された所蔵品は重慶を経て再び南京・北平に戻されたが、国共内戦が激化するにつれて、中華民国政府の形勢が
不利になったため、1948年の秋より中華民国政府は国立北平故宮博物院から第一級の所蔵品を精選し、台湾に運び出された。
 したがって、国立北平故宮博物院の所蔵品は、中華人民共和国北京市と中華民国台北市の2カ所に別れて展示されている。
 台湾に運ばれた中華の至宝は、初め台中県霧峰郷北溝の文物庫房に保管された。1957年3月には北溝の陳列室で一般公開を始めた。その後
中華民国政府は北溝の地が辺鄙であり、国内外の参観者を集めにくいとして、1965年8月台北の外双渓に台北新館を落成し同年11月12日に一般
公開した。
 その後国をあげて展示スペースの拡充と倉庫の建設および研究や出版・国際交流活動等ハードソフト両面に力を注ぎ、その収蔵品の価値の高
さも相俟ってルーブル・エルミタージュと並び称される博物館となり、これが現在見られる台北市の国立故宮博物院である。