魅惑のトルコ紀行

 
 東西文明の交差点に位置するトルコは、古来よりいくたもの国が興隆と衰退を繰り返してきた。アレクサンダー大王の侵攻、ローマ帝国への
併合、キリスト教国家からイスラム教国家への変貌、そんなトルコの劇的で波瀾に富んだ歴史を知るため、限られた日時の中で可能な限りの
大地に刻まれた古代遺跡を記憶の一片として写真にとどめておきたい。


Slide show Time One sheet of photograph Trip miscellany description
成田〜イスタンブール 11/11

イスタンブーのホテル
「クリスタル」
 ウズベキスタン国営航空の成田発タシケント行きHY528便、午前11時15分発が約2時間
遅れとのこと格安トルコ旅行の先行きが思いやられる。
 当てにしていた昼飯の機内食は先延ばし、ということで先ずは腹ごしらえ、第2ターミナル
・ビルの「天はな」で当分食べられない和食という事で天丼を食べる。
 HY528便は関空経由ということで、午後2時15分に関空に立ち寄り、トランジット用待合室
で2時間待つことになる。
 ウズベキスタンのタシケント空港には現地時間21時15分(日本時間午前1時15分)に到着、
ここでまた、トルコのイスタンブール行きに乗り換えるため、トランジット用待合室で約1時間
待つことになる。
 これから先はウズヘキスタン時間とトルコ時間、時には日本時間を頭に入れることになる
と、疲れた頭には混乱が生じ、出たとこ勝負のトルコ時間で判断することにした。
 イスタンブールのアタテュルク空港に着いたのが午後11時30分ころ、空港から今晩のホテ
ル「クリスタル」まで約30分、ホテルに到着したのは午前0時を回っていました。
 明日はホテルを午前7時50分に発つということで、シャワーも浴びず、眠い・・おやすみなさ
い・・・
イスタンブール〜チャナッカレ 11/12

ギルボル港の街並み
 イスタンブールのホフル、クリスタルを午前7時50分に出発、旧市街を車窓から眺めつつ、
マルマラ海沿いに西進、午前10時45分にテキルダーの街のン゛ソリン・スタンドで休憩。
 その後、ダーネルス海峡沿いにガリボリ半島を南下、午前11時50分にギルボル港よりフ
ェリーで、チャナッカレ(アジア側)に渡船する、11月の海風は冷たく、チャイで体を暖める。
 夏だったらギルボル港周辺の散策は、ギリシァ風の街並みを感じ楽しいと思う。
 昼食はチャナッカレのレストラン「ラプセキ」で地元料理を堪能する。


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神話の遺跡 トロイ 11/12

ギリシア神話に登場する
イダ山の松の木で造られ
た「トロイの木馬」
 トロイの王子ハリスが、スパルタ王妃ヘレネに横恋慕し彼女を誘惑。激怒したスパルタ王
はギリシア連合軍でトロイに攻めかかる。
 神々をも二分する争いとなり、不死身といわれたアキレスも唯一の足首をパリスに射抜か
れて絶命。また、パリスも戦死、戦線は10年間膠着。そんある朝、ギリシァ軍は撤退し、その
後に巨大な木馬だけが残されていた。勝利を信じたトロイは、巨大な木馬を城内に入れるた
め門を壊し、木馬を城門内の街に入れて祝宴を開いた。その夜、木馬内に隠れていた50人
のギリシァ軍兵士でトロイを攻撃、不意を突かれたトロイは陥落し。ヘレネは無事にスパルタ
に帰ることができた。
 こんな神話がホメロスの叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」のトロイ戦争のはなしである。

トルコ人のオアシス アィワルク
11/13

トルコのリゾート地
「アイワルク」の海岸
 トロイからベルガマへは約150kmの行程てあることから、本日の宿泊地はベルガマ北約
40kmにあるエーゲ海沿いの小さなリゾート地「アイワルク」である。
 シーズン・オフのため海もホテルもひっそりとしている。トルコの長期休暇シーズンになると
どっとトルコ人が押し寄せ、エーゲ海の各港からもクルーズ船も出ている。
 チャナッカレとアイワルクの間にある村「ベフラムカレ」にはアソスと呼ばれた学術都市の
遺跡がある。

ヘレニズムホ文化の遺産、
ベルガマのアクロポリス
11/13

アクロポリスの
大劇場
 アレクサンダー大王の遺産を受け継いだ栄光の都「ベルガマ」。
 急な丘の斜面を巧みに利用した都市づくり。この地はアレクサンダー大王の死後、腹心の
部下リシマコスが支配した。しかし、シリアとの戦争に敗れ、戦死したリシマコスし、その部下
のフィレタイロスが実権を握り、紀元前281年にベルガモン王国を築いた。
 フィレタイロスの甥、アッタロス朝のエウメネス1世の時代にはローマと協力し、シリアを撃
破し中央アナトリアの覇者となった。
 交易ルートを握った王朝は、その豊かな財力を使って神殿や王宮を建設し、また芸術の保
護と育成に力を注ぎ、第2のアテネといわれた時代もあった。
 8世紀にアラブ人の侵攻にあい、それ以降以は衰退の一途をたどった。
地中海文明の重要なエフェソス
都市遺跡
11/13

エフェソス遺跡
大劇場
 紀元前11世紀イオニア人による都市国家がエフェソス近郊に創られた。当時はエーケ゜海
沿いに開けた天然の良港だった。
 しかし、紀元前287年リシマコス皇帝の治世に港が土砂崩れで埋まり、また疫病が大発生
するなどの災いが生じ、帝ははついにコレッソスとピオンの丘に挟まれた盆地に遷都をした、
それが現在も残っているエフェソスである。
 紀元前2世紀にはローマ帝国の属領となり、有数の都市として繁栄した。また、紀元前33年、
クレオパトラがローマのアントニウスを助けるために200艘の船とともに上陸、束の間の甘い
一時を過ごしたという伝説も残っている。
 聖母マリアがキリストの死後余生を過ごし、聖パウロが布教に努めた結果キリスト教にとっ
ても重要な町となり、協議を巡る会議も開かれている。
トルコ語で「綿の城」と呼ばれて
いる「パムッカレ」
11/14
パムッカレの石灰棚
 「ヒエラポリス」は、ベルガモン王エウメネス2世は紀元前190年頃、ローマ軍に加勢し、シリ
アとの戦争に勝利。その武功により、ローマ皇帝からこの町が与えられた、やがて王の遺言
からローマの直接支配になるが、17年の大地震により崩壊。数世紀をかけて復興し、人口10
万人を数えるこの地方の有数の都市に成長した。当時、内陸部にある都市としては類を見な
い繁栄ぶりだった。地名の由来は
ギリシァ語の神聖からとも、伝説上の開祖テレフォスの妻
ヒエラにゆらいするともいわれる。
また、温泉の有毒ガスが噴出するプルトニュームでは、トランス状態となった女神スイベルの
神官たちが、神の言葉を発し、その予言は多くの人々を畏怖されたともいわれ、神聖なるこの
都市の由縁ともされている。14世紀の大震災で壊滅的打撃を受けた。
 パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」という意味。地中からしみ出した温泉の石灰分が崖を
流れ、長い年月の間に、純白の棚田のような景観を出している。
旋回舞踏で有名な「メヴラーナ
教」の総本山もあったトルコの
古都
「コンヤ」
11/14
メヴラーナ教の旋回舞踏
 コンヤが最盛期を迎えたのは11〜13世紀、セルジュク朝の首都が置かれた頃。その栄華は
カラタイ博物館などの初期のトルコ・イスラム芸術に偲ばれる。旋回回舞踏で有名なメブラーナ
教の総本山もあったトルコのことである。
紀元前8000年來の歴史的背景
と相まって、自然が創造した不
思議な形の自然美あふれる「カ
ッパドキア」
            (その 1)
            (その 2) 
11/15  カツパドキアはアナトリア高原の中央部に広がる大奇岩地帯。キノコ状の岩に代表される奇
岩の不思議な景観。奇岩の中に残された膨大なキリスト教壁画,地下何十メートルにも掘り下
げられた地下都市と様々な顔をもつ。トルコ観光最大のみどころだ。
 これまで訪れた地域の景観とも異なる、なだらかな岩肌のグラデーションが広がるかと思え
ば、ごつごつとした岩のユニークさには思わず笑いだしてしまうかもしれない。これがすべて自
然の力でてきたのだからやはり凄い。
 奇岩そして歴史と文化の宝庫、それがカッパドキアの魅力かも知れない。
 今回のコースは、ホテルのある「ユルギュップ市」「テヴレント(らくだの谷)」「ゼルヴェ」「ギョ
レメ(きのこ谷)」「ウチヒサール」「はとの巣」「三人美女」の順手あった。【map】
アンカラそして「Ankara express」 11/16〜11/16  アンカラとイスタンブールを結ぶ、「走る一流ホテル」は定刻のPM110:30にアンカラ駅を発った。
アンカラ・エクスプレスはトルコ国鉄が誇る最新鋭のTV2000型客車だ。コンパートメントは二人部
屋となっているが、私の場合一人部屋という事で458Km、約9時間をゆっくり熟睡。AM6時半頃に
車掌がチャイグラスをスプーンで叩きながら、モーニング・コール兼朝食の合図に回ってくれる。
車窓からはイスタンブール郊外の大地がゆっくりと目覚めてゆくのがわかる。朝食はビュッフェ・
スタイルで豪華ではないが、チャイグラスのトルコ国鉄のマークが輝いていた。 AM7:30にイスタ
ンブールのハイダルバシャ駅に滑り込む。
東西文化の交差点イスタンブー
11/16 東西文化の架け橋といわれているイスタンブールは、世界で唯一アジアとヨーロッパにまたが
る街である。
 その地理的な特異性はこの街独特のエキゾチシズムと3つの帝国の首都になったという歴
史のドラマを生み、今もその面影を残している。