旅   雑   記

旅 の 記 憶

2007.06.01
2007.05.31
2007.05.27
中国・四川省
四川奥地の花々
中国・四川省の奥地「神仙池・九寨溝・黄龍・四姑娘山・巴朗峠」の花々の紹介です。スタートする
とモノクロからカラーに変化します。
2007.06.03 中国・四川省
世界最大の石刻「楽山大仏」
 楽山大仏(正式名:凌雲大仏)は、成都市から高速道路で概ね南方に120kmの峨眉山市にあり、
岷江に臨む栖鸞峰の岩壁に彫られた世界最大の石刻座仏で、高さ71m、肩幅28m、頭部の高さ
14m、頭部の直径10mと巨大だ。足の甲には大人100人が座ることができるといわれています。
大渡河と青衣江が凌雲山の下で交わり岷江となる地点は、古来より水害が多発する地域であっ
た。その岷江の水害を鎮めるため、凌雲寺の僧海運が思い立ち、このように巨大な大仏が造られ
た。実に90年もの歳月を要し、803年(唐の貞元19年)大仏が完成した。1200年経った今でも岷江
の流れを静かに見守り続けている。巨大な大仏の全体を見るには船で岷江から見るのが最も良
いので、今回は楽山港から出る遊覧船に乗り大仏を見ることができた。
2007.06.03 中国・四川省
諸葛孔明の「武候祠」
 「武候祠博物館」は成都市中心部から見て南西に約4kmほど行ったところにあり、南河を渡った
南側の老南門外にあります。三国志で有名な蜀の丞相諸葛亮(字を孔明)の祠堂です。周囲を赤
い壁に囲まれた祠堂は37000uあり、1500年の長い歴史を持つ建物です。成都の武候祠は劉備
玄徳を祭る「漢昭烈廟」と諸葛孔明を祭る「武候祠」が合併されたお廟で、正式な名前は「漢昭烈
廟」と呼びます。武候祠は南向きで1本の中心線上に並んだ正門、二門、劉備殿、吹抜け、諸亮
殿などの主な建築があります。
 この旧跡は前の部分は祠と博物館で、後はこちんまりとした庭園です。中には蜀国歴史上の人
物彫像が47体、石碑53基、61枚、鼎、香炉、鐘、太古が10点余り収蔵されています。入ると,通
路の両側には六つの大きい石碑が立っていますが,その中の四つは清代のもので,一つは明代
のもので,一は唐代のものです。清代の石碑は武候祠の建て直しと修築状況が刻まれ、明代の
石碑は主にこれの歴史沿革を記録していました。
 その中,唐代の石碑は歴史上非常に有名なものです。文章、書法、石刻技術ともに極めて優れ
るので,[三絶碑]と褒め称えられています。この門をくぐって劉備殿です。大きい殿堂に金箔張りの
塑像があり、劉備や諸葛亮や関羽や張飛などのです。まだ、武官と文官それぞれ14人、全部28
人の塑像が並んでいます。壁には諸葛亮の名文[出師表]、有名な[隆中対]の物語が掛けてあり
ます。吹抜けを通って諸葛亮殿になります。真ん中、金箔を張った塑像は諸葛亮で,両側のは息
子と孫の諸葛瞻諸葛尚です。両側の部屋は諸葛亮史跡陳列室で,それの生前事業や功績を記
録した資料を展示しているのです。後には,池や石橋や竹林があって素晴らしい庭園です。
 赤い壁に挟まれた小道を伝っていけば,突き当りに劉備の墓です。この墓は高さ12メートルもあ
り、回りは180メートルもある壁に囲まれています。史書の記録によればこの墓の中に劉備の二人
の夫人も葬られたそうです。
2007.06.02 中国・四川省
四川「川劇」を楽しむ
 今回楽しんだ川劇(せんげき)は,成都市華興正街54号にある「錦江劇場」でした。 演奏内容は
   <演目紹介>
     1. オープニング;鬧台・・・・・楽師たちの銅鑼や太鼓を中心とし「秋色芙蓉」という曲の演
                       奏。
     2. 川劇折子劇(短編劇)・・・・・「三英戦呂布」、「呂布 貂蝉 上」、
     3. 足技、
     4. 杖頭木偶(操り人形)・・・・・「人間好」、
     5. 川劇折子劇(短編劇)・・・・・「皮金頂燈」、
     6. 二胡独奏・・・・・「葡萄熟了」、「戦馬疾騎」という曲の演奏。
     7. 手影戯(影絵)、
     8. 変臉(変面)・吐火、
     9. 木偶変臉、木偶吐火、
     10.変臉(変面)・吐火、
     11.フィナーレ「梅花 絶句」、
と1時間30分があっという間に終わってしまいました。特にメインとなる変臉(変面)は神秘的な絶技
で、そのいわれは遠く西蜀に源を発し、中国演劇界に名を馳せる門外不出の技といわれています。
変臉は魔術のような技法を使い、瞬きをする間に顔の隈取りを変え、登場人物の心境及び、ストー
リーの急激な変化などを表現する演劇手法です。
 私の席は前から2列目の中央通路側であったため、フィナーレ時に変臉の役者が席の処まで下り
てきてくれ、目の前で瞬時に変面を見せてくれました。残念ながらその方法を読み取ることはできま
せんでした。
2007.06.03
2007.06.02
中国・四川省
成都市の食事処
 「京都新館」は、成都市鹽市口梨花街(皇城公寓前)現代之窗購物館二樓というところにありま
す。数年前に開店し、チャンコ鍋、回転すしなどで客寄せしたそうですが、中国の奥地の都市では
日本食はなじみが薄く、あまりパットしないようです。私たちが食べたのはサーモンの刺身がメイ
ンで、焼き鳥その他数品出ましたが、久しぶりの日本食か、私には美味しく食べることができまし
た。
 「陳麻婆豆腐店」は、西玉龍街197号にありますが、「シェラトン成都」ホテルからも歩いて7分ほ
どで行くことができます。麻婆豆腐は日本でもおなじみの四川料理、本場の元祖のお店どんなも
のか好奇心をそそられました。唐辛子の辛さとそれにもまして山椒で舌が痺れる感じが、さすが
「陳ばあさん」ということで、ビールが進みました。お店にはおみやげ用のレトルト・パックもありま
した。
2007.06.02 中国・四川省
成都市ってこんな街
 成都市は、四川省の省会(日本で言うところの県庁所在地)で人口は1000万人を超しています。
そして日本人にもおなじみの劉備玄徳と諸葛孔明が活躍したところでもあります。更にパンダの
故郷、そして激辛の四川料理の発祥地でもあります。今回、宿泊したホテルは中心街に近い、
成都体育センターの北側に隣接する「天府麗都喜来登飯店(シェラトン成都ホテル)」で、ホテル
前の「人民中路一段」を南に約1km行ったところに成都市政府(成都市役所)があり、庁舎前には
「毛沢東」の彫像が建っています。市役所前の「人民東路」を隔てた南側には「天府広場」があり、
市民の憩いの場所になっていました。成都市は13000kuと広いのですが、鉄道は市の中心街か
ら約4km北方に「成都駅」があり、市内は全て路線バスかタクシー、三輪タクシーでの移動となりま
すので、旅行者にとって不便だと感じました。現在「人民中路一段」で成都市では初めてという地
下鉄工事が行われていました。
2007.06.02 中国・四川省
臥龍から成都への道すがら
 「臥龍パンダ保護研究センター」を午前10時10分に出発。通常なら臥龍−成都間は120kmを4
時間位で走る事ができるのですが、「映秀」までは全線拡幅改良工事中のため、各所で通行止
め・渋滞の繰り返しで全員グッタリという状態でした。昼食場所の映秀まで49kmを2時間かけ到
着しました。映秀からは比較的順調に走り、車窓からの四川省の移り変わる姿を、そして世界遺
産の都江堰を横目にし、成都市に入ったのは午後3時30分ころでした。
2007.06.02 中国・四川省
臥龍パンダ保護センター
 臥龍パンダ保護研究センター(臥龍熊猫保護中心)は、成都市の北西130km、標高1800mの
場所にあり、周辺を深い山に囲まれたパンダの故郷の中にあり、現在120頭が飼育されてい
るそうです。
 昨晩宿泊した臥龍で一番大きいホテル「臥龍山荘」からは、車で5分ほどの所に「臥龍パン
ダ保護研究センター」はありました。ガイドから受け取ったチケットは入場料130元でした。セン
ター内には1歳以下のパンダを集めた「パンダ幼稚園」があり、無邪気に遊びまわるかわいい
子パンダが柵越しですが、比較的近くで見ることができました。
 センターの一番奥で、パンダと記念写真を撮ることができました。1カツト200元で、カメラ持ち
込みでガイドに撮ってもらいました。モデルは1歳のパンダでしたが、朝食後の気分のリラック
スしている時間帯だけだそうです。少し前まではパンダを抱いての撮影もあったそうですが、
現在は食事中のパンダと並んでの撮影になっています。なお、<BR>
撮影場所に入る場合は靴を消毒後にビニール・カバーを掛け、手袋をつけての入場となりました。
2007.06.01 中国・四川省
日隆から臥龍への道
 「日隆」から「臥龍」への道は、「猫鼻展望台」を過ぎると道は更に急峻な渓谷の山肌を、ヘヤ
ーピン・カーブを何度も繰り返し「巴朗山峠」に上って行きました。車窓からも上ってきた道を振
り返るとヘヤーピン・カーブの様子が良くわかります。途中、標高3500mへんに無料トイレがあ
り、ここで小休止しましたが、周囲には結構高山植物を見つけることができました。
 「巴朗山峠」に着いたのは午後3時ころでした。標高は4523mと富士山より約750m高い地点
になります。また日隆の中心街 (標高3200m)からも1500m位登って来たことになります。全線
道路工事中の影響で臥龍への到着予定時間が遅れるとの事で、「巴朗山峠」は通過する予定
でしたが、四姑娘山側の最後を見たいと言う要望で、急遽10分間の休憩をとりました。峠からは
日隆側のヘヤーピン・カーブの道が良く見え、桜草に覆われた峠に感慨ひとしおでした。峠を越
した臥龍側には、ここを通過する観光客のためか、一寸した売店があり、有料(1元)ですがトイレ
もありました。有料トイレは一応水洗ですが、日本にもよくある仮設トイレと似ていますが、用を
済ますと管理人のおばさんが、ホースの水で豪快に流してくれるというものでした。峠を越すと臥
龍に向けての下り坂も、ヤーピン・カーブの連続で、工事中とはいえ一歩間違えばと思うとゾート
する箇所が何箇所もありました。午後6時30分に臥龍の「美味飯店」に到着し、久しぶりのビール
で喉を潤しました。
2007.06.01 中国・四川省
臥龍への道・猫鼻展望台
日隆から臥龍に向かうため、村長さん宅を午前11時30分に出発、「猫鼻展望台」には正午に到
着、あいにく四姑娘山は日本からの遠来の客を迎えてか、恥ずかしそうに雲のベールで顔を覆
っていました。展望台かの眺望は雲の流れは速く時折四姑娘山が"ちらっと"その素晴らしい肢
体を見せてくれました。瞬間カメラのシャッター音が一斉に聞こえると感じましたが、デジカメが多
くシャッター音はイメージだけでした。でも、みんな四姑娘山山麓を彷徨い四姉妹に会えなかっ
ただけに、こみあげるものがあったと思います。「猫鼻展望台」から振り返って見ますと「日隆」鎮
の中心街のこじんまりとした佇まいが眼下に見えました。時間に追われる身、四姑娘山に別れを
惜しみつつ巴朗山峠に向かいました。
2007.06.01 中国・四川省
日隆陳の村長さんの家
「長坪溝」の観光も終わり、臥龍までの通常は5時間で行けますが、全線で道路拡幅改良工事
を行っており、日隆に入るとき悪路から判断して、早めに昼食をとり臥龍に出発することになり
ました。昼食場所は「日隆」鎮の村長さんの家と言われている「日月山荘蔵餐館」でした。村長
さんの家は「日月山荘」というホテルも経営していました。この日は村長さんは成都市に出張中
で、奥さんとお嫁さんが歓迎してくれました。最初に「バター茶」の作り方のレクチャーを受け、実
際に「バター茶」をみんなの前で作ってれましたので飲んでみましたが、冬の寒いときは体が温
まっ美味しいだろう感じました。食事は山菜を中心とした田舎料理でしたが、我々日本人には合
う食事でした。食後、奥さんから絹で作ったスカーフ風のお守りを一人一人が首にかけてもらい
ました。残念ながらこの絹の布をなんと言うのか聞きそびれてしまいました。中国の田舎の素朴
さを感じた一時でした。
2007.06.01 中国・四川省
四姑娘山山麓「長坪溝」
 臥龍方面から日隆に入ったところにある「長坪橋」を渡った、右岸側を沃日河沿いに上流約
500mほど行くと「長坪溝景区入場券売り場」が見えてきます。「長坪溝景区入場券売り場」から
は、シャトルバスで「チベット寺院跡」まで約1km入りますが、ここまでは道路も舗装されており
快適でした。「チベット寺院跡」から先は急峻で森林の多い渓谷でアルプス的な風景が素晴らし
い所です。今回は「枯樹灘」まで行く予定が急遽変更され、「チベット寺院跡」から先の遊歩道
(木道)を回るだけになってしまい残念でした。また、この付近には「フオーストレッキング」のた
めの乗馬申し込み所もあり、馬で「枯樹灘」まで行くこともできます。
蛇足・・・シャトルバスの終点から「チベット寺院跡」までの間に有料トイレがありました。非常に
綺麗でBGMが鳴り、ティシュペーパー付で1元でした。
2007.05.31 中国・四川省
四姑娘山山麓「海子溝」
 「海子溝」へ入るためには、日隆の臥龍側の外れにある「海子溝風景区入場券売り場」でチケ
ットを購入し、道路を隔てた反対側から「過荘坪(かしょうへい」のある尾根に向かう山道をすぐ登
り始めることになります。ここだけはゲートが有るわけでもありませんので、入場料を払わずに自
由に山に入れる雰囲気でした。
 登り初めてすぐの所に「ホーストレッキング」用の馬を貸してくれる所に出ます。ここから先のつ
づれ折山道を30分ほど登ると「過荘坪」に向かう尾根に出ますが、ここに「第1仏塔」があり、この
尾根一帯は一面の草原で、高山植物を踏み潰さないようふみ跡をたどることになります。
 四姑娘山方面を望遠すると、第2仏塔、さらに微かですが第3仏塔が見えます。また、四姑娘山
に対し右方向を見ると山肌に臥龍から日隆へのアクセス道路が見え、「猫鼻展望台」も見られま
す。
 今回は村長さん宅で夕食を食べるため下山時間に制約があり、第2仏塔方面へトレッキングで
きず残念でした。
2007.05.31 中国・四川省
四姑娘山山麓「双橋溝」
 「四姑娘山自然保護区」は、海子溝、長坪溝、双橋溝、巴朗山の4つのエリアから構成され、そ
の面積は1375haで、標高は3000m〜6250mの中に低地では森林や草原、高地では、「懸垂氷
河」「氷床」「海子(高山湖)」があり、それらの自然にマッチした平地では見られない多種多様な
動植物か存在している。「双橋溝」は日隆の中心街から「色丹」方面に約4kmほど先に行き、右
折すると「双橋溝景区」に入る事が出来、ホテル「四姑娘山山荘」を過ぎると「双橋溝景区入場券
売り場」の建物が見えてくる。入場料は80元(11月〜3月は50元)で、ゲートを通ると、終点の「紅
杉林」までのシャトル・バスが待機している。シャトル・バスは30人乗りのマイクロ・バスで、乗客が
半分くらいると出発してくれます。一応、女性のガイド(車輌により男性)が付いていますが、日本
語がまったくしゃべれません。だだ写真は自由に取らせてくれ、結構愛嬌がありました。シャトル・
バスは氷河侵食によつてできた渓谷を約30分かけ「紅杉林」までノン・ストップで走りますが、道
路は一応整備されており、比較的快適なアプローチです。ゲートから紅杉林」までの間には主な
見所が5ケ所ほどありますが、今回はあいにくの雨と時間の関係で、終点の「紅杉林」から「盆景
灘」「人参果坪」の3ケ所だけを見るにとどまりました。総じて「双橋溝」は、急峻な渓谷を堪能でき
る渓谷ですが、スイス・アルプス的な雰囲気、上高地の大正池的な雰囲気、それになんといても4
月から10月までに広大な花畑がわわれを迎えてくれます。
2007.05.30
中国・四川省
四姑娘山の登山基地「日隆」鎮
 日隆は小さい村で、成都と丹色を結ぶ道路がメイン・ストリートとなつている。臥龍から己朗峠・
猫鼻展望台を過ぎると、日隆の村が望見でき、道路左側のガソリンスタンドを過ぎると日隆の村
だ。村に入った左側のホテルの隣に「海子溝景区入場券売り場」がある。さらに進み「沃日河」
を渡る「長坪橋」の右岸側を入ると「長坪溝景区入場券売り場」に行くことが出来る。
 道路は「長坪橋」を渡った付近から左に大きくカーブし、村のメインストーリになり、ホテル・みや
げもの屋などの商店が300mほど続きで結構賑やかな通りとなっています。
 これから先の色丹方面に行く道路は、2007年6月現在、拡幅改良工事中で、工事優先か各所
で突然渋滞が始まるなど、いかにも中国らしいのんびりした情景に遭遇しますが、
「郷に入れば郷に従い」ということで、時間には余裕をもた行動が必要だと痛感しました。
 今回、我々が泊まったホテルは「日隆」の中心街から、更に4kmほど先に行き、右折して「双橋
溝景区」には行ってすぐのところにある「四姑娘山山荘」でした。
 「四姑娘山山荘」は山荘と言っていますが、立派な5ツ星ホテルで、「双橋溝景区入場券売り場」
まで徒歩3分ほどのところに立地していました。
2007.05.29 中国・四川省
黄龍から茂県へ
 「黄龍風景名勝区」から下山後の午後4時30分に、明日の「四姑娘山」ハイキングに備え、本日
の宿泊地「茂県」に向け約200kmのバスの旅が出発した。
 バスは、「黄龍」「川主寺」「松藩」「安宏「「較場」「飛虹橋」と途中の休憩を除き「茂県」に向けて
ひた走った。
 「川主寺」は黄龍約40kmのところにあり、「九寨溝・黄龍空港(空港の海抜は約3400m)」からは、
約3kmと近く、「九寨溝・黄龍」観光の拠点地の待ちとして発展を続けている。
 「松藩」は、2300年の歴史をもつ周囲を城壁に囲まれた歴史を感じさせられる古い町で、現在は
人口7万人と、この街も中国人観光客の「九寨溝・黄龍」観光の拠点地となつています。
街は清潔で住民も優しいといわれていますので、この街でバスを止めてもらいたかったのですが、
今回は時間に切迫され、車窓から眺めるだけになってしまいました。是非一泊し街をジックリ回りた
いところです。
 「茂県」は「ガバ蔵族羌族自治州茂県」というところにあります。今回は「松藩」を過ぎ「茂県」まで
は、岷江の両岸の厳しい斜面にへばりつくように羌族(チベット族)の集落が散見される同じような
風景の中をバスはひた走りし、「茂県」に着いたのは、午後8時を回っていました。
 今晩の宿泊は、茂県鳳儀鎮の「茂県国際大酒店」でした。
2007.05.29 中国・四川省
大小の湖沼が連なり黄色い龍の姿を再現する
「黄龍」
 黄龍は、四川省北部の玉翠山麓の渓谷にあります。今回は前日に泊まった小雨の「九寨溝シ
エラトン」を午前7時30分に出発、途中、「川主寺」で休憩し、午前11時15分に「黄龍」に到着。
 黄龍のメインストーリには、ホテルとおみやげ店が並び観光地として急速に発展している様子
が良くわかります。昼食を摂った「華龍山荘」のレストランもごった返し、サービスの悪さは、急
速に発展している中国の観光地はどこでも同じかもしれません。
 昼食後、いよいよ黄龍に向けてスタートしましたが、「華龍山荘」のすぐ隣が黄龍に登る、あ
るいは下ってくるゲート(標高3198m)になっています。我々は昨年10月にオープンしたロープ
ウエイ(登り80元、下り40元)を利用することにしていましたので、ロープウエィ乗り場まで約2k
mを無料シャトルバスで移動しました。
 ロープウエィは全長2700m、終点の標高3473mという事で、標高差は275mですが、これを歩
いて登るとなると考えてしまいます。でも、中国の方は結構歩いて登ってきます。
 ロープウエイの終点からは、平坦道と緩い登りの遊歩道(整備された木道)を2890m歩くと「黄
龍寺」に到着します。私の足ですと30分ほどの距離ですが、今回は標高が高く高度障害(高山
病)が出ることもあるので、「黄龍寺」まで1時間かけてゆっくり歩きました。幸い携行した「ポータ
ブル酸素」は使わずにすみました。
 ただし、この道は森の中にありますので、中間の展望台を除き黄龍を眺めることはできませ
んでした。
この道の終点で、「黄龍」ゲートから登ってくる道と合流し、「黄龍寺」への登り道となります。
 黄龍寺(標高3553mで、富士山より200mほど低いだけです。) 到着後、寺のすぐ裏手にある
「五彩池」一回りし、後は黄龍らしい石灰棚とコバルトブルーの水を眺めながら、下山道を下る
ことになります。
 主な見所は、
 @黄龍寺 A五彩池 B黄龍中寺 C婆夢映彩池 D明鏡倒映池 E盆景池 F蓮台飛瀑 
 G飛瀑流輝 H迎賓彩池 I他にも名前のついた所がいくつもあります。
 の順に見てくると「黄龍」ゲートに到着です。
2007.05.28 中国・四川省
エメラルドグリーンの湖沼が連なる「九寨溝」
九寨溝は、四川省の省都、成都市から北に約400kmの南坪県の岷山山脈にあり、原始森林を
背景に大小108もの湖沼が点在る秘境です。
 「Y」字形に流れる溝(渓谷)には「樹正溝海群」「日則溝群海」「則査窪溝」という3本の大きな溝
からなつています。
 大小の湖沼は、底が見通せるほど澄んだ水、エメラルドグリーン、マリンブルーなどの微妙な
色彩で湖面の美しいのが特徴です。チベット族の9ツの集落(寨)があったことから「九寨溝」と呼
ばれるようになったとのことです。
 全てが見られれば良いのですが、最低限のお勧めの見所は
 *「則査窪溝」・・・@長海 A五彩池  *「日則溝群海」・・・B五花海 C珍珠海 D鏡海  
 *樹正群海溝 E諾日朗瀑布 F樹正瀑布 G樹正海群 H火花海
 です。
2007.05.27 中国・四川省
神仙地・九寨溝・黄龍・四姑娘山山麓の秘境紀行
神仙が住むという神仙池

 神仙池風景区は、小黄龍・小九寨溝と呼ばれており、2003年9月にオープンしたばかりで、観
光客がほとんど来ない穴場的観光地で、四川省チベット族・羌(チャン)族自治州九寨溝大録郷
にあります。
 九寨溝入口からは約47km離れており、バスは終点の神仙池ゲストハウスまで行ことができ
ますが、ゲストハウスから神仙池の入口「仙境橋」までの約500mは、無料のシャトル遊覧車専
用道です。
 入口「仙境橋」を渡ると「水れん洞」があり、ここから木道を下から「金銀灘」「神泉 瑶池」「清
龍海」「蓮台彩池」「仙女池」「神蛙海」そして一番上の「模佛洞(標高3100m)」まで、高低差4
00mを、ゆっくり2時間半で1周できます。
 石灰質の棚田や湖が美しいく、九寨溝と黄龍を合わせてミニサイズにしたイメージです。
*清龍海・・・石灰石の固まりがこていにり、それが龍のように見えます。
*仙女池・・・神仙地のメイン的存在の池です。
*「神蛙海」・・・蛙の声が大きく、蛙の神がいると地元の人は信じています。
2007.05.26 中国・四川省
神仙地・九寨溝・黄龍・四姑娘山山麓の秘境紀行
成田から成都へ

 2007年5月26日、成田空港第2ターミナルから、定刻より30分遅れて14時55分発 AirChina の
CA-926便で北京に向けて出発。北京に18時30に到着、トランジツト手続き後、20時55分発の
AirChina のCA-4106便で成都に向かう、成都に到着したのは23時30分、スーツケースをピツク
アップし、送迎デツキに出ると、これから10日間お世話になるスルーガイドの張 杰さんが迎えて
くれる。
 成都市の中心街の「銀河王朝大酒店(ダイナスティ・ホテル)」で明日からの旅を楽しみに最初の
夢を見る。
 家を出てから15時間、長い一日でした。

2005.08.23

長野県上田市塩田平 無言館を訪ねて

 長野県上田市の塩田平は、山国長野でも暑いところと言われていますが、今日(8月23
日)は秋の兆しを体一杯に感じる爽やかさな日でした。

私が無言館を訪ねるのは、これで三度目になりますが、これまでの二度は秋でした。

今回は終戦から60年という節目を記憶に残すため、8月中にと考え訪ねたものです。

無言館は「戦没画学生慰霊美術館」とも言われ、戦争中、画家になることを夢み、生き
て帰って絵を描きたいと叫びながら死んでいった多くの画学生が遺した作品と遺品が収
められた美術館です。


 恋人を描いた「裸婦」という作品がありました。

「あと五分、あと十分この絵を描かせてくれ・・・

  小生は生きて帰らねばなりません。 絵を描くために・・・。」

          一度だけでいい、あなたに見せたい絵がある・・・。

と言い、戦地に向かったという、この作品は、未完のまま「無言館」に飾られています。

彼らの青春の息吹、戦争の無念さ、恋人への想い、そして家族への想いが、「無言館」
に遺された作品や遺品を通じ、私に「命」「生きる事の意味」を見つめ直す機会となった美
術館です。

丘陵地の頂に、浅間山を背景にして立てられた「無言館」は、上空から見ると平面形十
字架の形になっているとの事ですが、館主の窪島誠一郎氏(作家 水上 勉氏の子息)が
ヨーロッパで見た僧院をイメージしたデザインと言われています。

2005.07.28

乙女高原花情報

 乙女高原は、山梨県山梨市(旧牧丘町)の標高1,700Mにある亜高山帯の草原です。
この草原は、以前はスキー場として現在はボランティアが草刈をすることによって森林化しないで草原に保たれている
場所で、四季折々の花が迎えてくれます
mapを参照

2005.07.28

長野県白馬五竜・遠見

 大糸線の神城(かみしろ)駅から徒歩20分位で「白馬五竜テレキャビン」の「とおみ駅」に行く事が出来ます。
 「白馬五竜テレキャビン」の「とおみ駅」からはゴンドラ乗って7分の空中散歩で「五竜アルプス山野草園」へ(アルプス
平)、ここには3万uの広大な山腹に広がるおよそ150種類30万株もの植栽された花々、また「アルプス平自然遊歩道」
には自然のままの高山植物が自生しています。
 小遠見山までトレッキングに出かければさらに多くの花に出会えます。地蔵の頭周辺なら往復1時間、小遠見山でも
往復3〜4時間でもいけるけど、じっくり倍の時間をかけて花を観察するのもいいですよ。

2005.11.10 東欧紀行雑感 その8「二つの橋 「二つの橋」
 13年ほど前にスイスを一人旅した時、ルッエルン市の「カペル橋」を訪ねました。
 ルツエルン市は、「ファイアヴァルトシュテッテ湖」の西岸に位置し、ヨーロツパ貴族の保養地で、ワ
ーグナーも晩年この地で過ごしたことで知られています。
 市の中心部を流れる「ロイス川」は、「ファイアヴァルトシュテッテ湖」に流れ込んでいますが、「カペ
ル橋」は河口から500m位の所に架けられている木造橋で、満々と流れる川幅約200mの位置に30
度位の角度で斜めに架けられ、屋根と壁も木造りで、内部の天井・壁に宗教画が描かれている古い橋
で、窓辺の花が印象的でした。
 
 私が日本に帰って一週間後にこの橋が火事で焼失したことを新聞で知り、初めてのスイス一人旅で
印象に残った橋だけに、何か因縁めいたものを感じてしまいした。
 
 そんな事がきっ掛けで、ヨーロッパの古い橋に興味を持つようになりました。
 今回の東欧の旅でも、プラハの「カレル橋」とブタペストの「セーチェニ橋(別名くさり橋)」は期待の橋で
した。
 
「カレル橋」
 プラハの街を流れるヴォルタヴァ川は、西側に旧王宮、東側に旧市街を二分し、小高い丘に建つ旧王
宮・プラハ城・聖ヴイート大聖堂・黄金の小路とプラハの基盤を固めた歴史的を感じるとともに、1968
年の「プラハの春」の挫折がなかつたら、どうなっていただろうと思いを馳せつつ、石畳の路を下りカレル
橋に向かいました。
 カレル橋に来ると「歩行者天国」の橋となっており、みやげものを売る屋台、マリオネツトを操る大道芸
人など、その賑やかさは観光客だけでは無く、プラハ市民の楽しみの場所という印象を受けました。
 カレル橋は、14世紀にカレル4世によつて建造された石積みの橋で、当時の技術水準の高さを感じま
す。
特に圧巻は、全長約500mの橋の両側欄干に並ぶ30体の像は紛れも無く 歴史遺産で、日本にキリスト
教布教のため来た聖フランシスコ・ザビエルの像 をはじめ、聖人像、聖書や歴史的な聖者をモチーフに
した像でした。
 橋の両側に立つ石造りの塔は30m位あり、登るとプラハの旧市街が一望することもできました。
 
「セーチェニ橋(別名くさり橋)」
 ドナウ川の真珠と言われるブタペストは、ドナウ川の西側「王宮の丘」と呼ばれるブタ側で遺産が多く、
歴史的記憶をたどることができました。
 ドナウ川を境に二分された、東側はペスト地域とよばれ、旧市街・新市街が広がりを見せています。
 くさり橋は、船が唯一の交通手段だった19世紀前半、橋の無かったブタとペストを結ぶため、ハンカリ
ーの国民的英雄セーチェニ・イシュトバーンによて建造された石造橋で、橋の両端にはライオンの像が
据え付けられていました。
 
 日が落ちてからドナウ川添いにドライブした車窓からの眺め、またブタ側の「王宮の丘」の「漁夫の砦」
から眼下に眺めた「くさり橋」はライトアツプされているとはいえ、その光がドナウ川に映えいつそう幻想
的な雰囲気を醸し出し、一時の旅とはいえ、私の心を癒してくれました。
 
 めまぐるしい歴史の変遷を遂げ、周囲から多様な文化を受け入れた、ドラマチックな都市ブタペスト。
「くさり橋」は今夜もまた静かな歴史の眠りにつくのでしょう!! 
2005.11.06 東欧紀行雑感 その7「マイセンとヘレンド  我が家を見回してもヨーロッパ陶器は、 コーヒーカップのウェッジウッドと私が趣味で集めている
カウスボタンのロイヤルコペーンハーゲンくらいです。
 上の二つ以外にヨーロッパ陶器で私が知っているのは、ロイヤルドルトン、ミントン、ロイヤルアル
バート、マイセンくらいてです。
 東欧旅行で、図らずも「マイセン」と「ヘレンド」の工房を訪ねる機会に恵まれ、改めてヨーロ
ッパ陶器の素晴らしさを再認識させられました。
 
Meissen(マイセン)
 ヨーロッパで初めて、純白の陶器の製造に成功したのがこのマイセンだそうです。1710年には、王
立マイセン陶器工場が設立され、生産を開始しています。
 最も人気のある“ブルー・オニオン”は、日本の桃の木と実(ざくろという説もあります。)を図案化し
たものだそうです。
 一品一品が全て手細工で、トレードマークの青い剣とK・P・M(王立製造所の頭文字)までが手書き、
という徹底ぶりです。歴史と伝統に培われた芸術性は、ヨーロッパの陶器業界の最高峰と呼ばれるに
ふさわしい最高級ブランドです。
 マイセンへはドレスデン(ドイツ)から車で約1時間または、ドナウ河を船で約2時間です。
 
HEREND(ヘレンド)
 ヘレンドの名前をまったく知りませんでした。オーストリアのウイーンからハンガリーへ行く途中のヘ
レンド村にあります。
 1800年半ばに創立し、王立ウィーン窯のデザイン継承を許されるなど、オーストリア、ハプスブルグ
家と皇帝フランツ・ヨーゼフの庇護を受けて発展したそうです。
 グリーンが印象的な“インドの華”や、鳥と虫が描かれた“ロスチャイルド・バード”が代表的な作品で
す。
 
 イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃の、婚約披露の贈り物に使われたことでも知られていま
す。
  両工房とも見学者用コースが設定されており(有料)、ろくろによる形づくり、絵付けなど総ての工程
がみられます。ショップも有りますが、最低でもコーヒーカップ1ケが日本円で3万5千円位でした。(な
ぜかマイセンには「バーゲン品」がありました。)
2005.11.02 東欧紀行雑感 その6「ベートヘンのホイリゲ

フランス産ワインの新酒「ボジョレ・ヌーボー」発売が今月17日に解禁されます。「ボルドー」
「ブルゴーニュ」産を筆頭に過去最大の輸入量のようですが、日本の地ワイン(ローカルワイン)
にも素晴らしい物があります。

ウィーンの中心部から北へ約3km程のところにあるハイリンゲンシュタツトを訪ねたのは、
ウィーンを去る前の日でした。

ホイリゲとは、ヌーボーを飲ませる居酒屋の総称のようです。

 本来は、仕込んでから1年以内の新酒(ヌーボー)のことですが、ウイーン子はヌーボーを飲
ませる店のことをホイリゲと呼んでいます。

 フランツ2世が統治していた頃、ブドウ栽培農家が自家製ワインを自分の家で売ることが許
されたことから始まったとも言われ、今でも農家の中庭で自家製ワインを飲ませてくれるとこ
ろが、ウイーンの近郊には数あるそうです。

私か訪ねたのは「マイヤー・アム・プファールプラッツ」という店で、1683年からこの地に続
くマイヤー家のホイリゲで、数々の賞をとったこともある名門ホイリゲです。

 1817年の夏にベートベンがこのホイリゲの2階で、交響曲「英雄」の一部
を作曲したとのことで、その記念プレートが建物の壁に埋め込まれていました。

 メニューに載っていた、白ワインの「ヴァイスヴァイン」を注文したのですが、時期的かヌーボ
ーが無く、しかたなく発酵途中の「シュトゥルム」というのを注文したのですが、1/4リットルジ
ョッキで、豪快に楽しむ事ができました。

 入る時は気づかなかったのですが、帰り際によくよく見ると、軒下に「シュトゥルムとモスト(
ドージュース?
)が1/4リットル、2ユーロで飲めます。」という看板が下げられていました。
(280)

 日本でも新酒の仕込みが終わり、「杉玉」を軒下に吊るしますが、ウイーンのホイリゲでも「松
飾り」を吊るすことで、「新酒あります。」の目印にするそうです。

 ハイリンゲンシュタツトからウイーンの森北端のカーレンベルクまでは、ブドウ畑が点在し、ホ
イリゲも幾つかあるそうですが、今回は直ぐ近くの「ベートーベンの散歩道」をワインに火照る頬
をうつ風の爽やかさを感じつつ、あーウイーンに来て良かったなーと思い、散歩で最後の日を締
めくくりました。

PS

1.オーストリアワインは白ワインが多く「マイヤー・アム・プファールプラッツ」でも白ワインがお勧
めです。

.「マイヤー・アム・プファールプラッツ」は別名「ベートーベン・ハウス」とも呼んでいます。

3.ウイーンから「マイヤー・アム・プファールプラッツ」へ行くツアー・コースもあります。

4.当地(私の住んでいる葡萄の産地)の地ワインで欧州種ぶどう「ビットリア・ビアンコ」のワイン
は、市場にほとんど出回っておらず、マニア羨望のワインです。
(オーストリアでも、イタリア同様
白ワインのことをビアンコと呼んでいました。
) 

2005.10.29
東欧紀行雑感 その5「オペラ座の悲劇」

  数年前でしたか、1月1日午後7時からNHK衛星第2放送でウイーン学友協会ホールから、毎年恒
例のウィン・フ ィル・ニューイヤー・コンサートの生中継放送がありましたが、日本人では初めての指
揮者として小沢征爾氏が登場したのが記憶に残っていました。

 そんな記憶が思い起こされたことから、ウィーンを再度、訪ねることはないだろうし、この際、本場の
オペラを見て(聴いて)こようということで、 日本からオンラインでチケットの手配をしました。

 これが悲劇の始まりで、ウィーンに着いてから調べたところ、オペラ座の座席は8ツの座席区分があ
り、私は予約で「Blkon」という座席を取ってしまいました。

 因みに上位からの席順は、

  1.バルテレロージ・・・1階平土間に接するボックス席 

  2.ミッテル・ロージェ・・・舞台真正面のボックス席 

  3.バルケット・・・平土間の前の方の席 

  4.バルテレ・・・平土間の後ろの方の席 

  5.1ラング・ロージェ・・・バルテレの1階上のボックス席 

  6.2ラング・ロージェ・・・バルテレの2階上のボックス席 

  7.バルコン・・・ボックス席の上の階の席

  8.ギャレリー・・・バルコンの後ろ(立見席)

 当日朝、ホテルのインホーメーションで確認したところ、バルコンはウイーンに音楽勉学できている人
や若い人が利用している席で、折角日本からオペラを聴きに来ているのならせめて、「バルテレ」にして
は持ちかけられ、一応席の確認をしてもらつた結果、空席が若干あるがチケットは350ユーロ(取次手
数料込みで、約48,000円弱になりす。)とのこと、高額であることからあきらめ、「バルコン」の席で見
ることにしました。

 オペラ座の席に着いて驚いたのは、「バルコン」の私の席(左側)では舞台の左四分の一が全く見え
ず、いまさらながらお金をケチッテ、ウィーン・オペラ座を訪ねながら3時間近い悲劇のオペラを見てくる
始末になってしまいました。

 ただし、「バルコン」の最前列には、折りたたみ式の液晶表示板があり、オペラが始まると、この表示
板にドイツ語・英語の文字が表示され、これを見ながら指揮法などを勉強している学生を多く見受けま
した。

 また「ギャレリー」は極端な話、ジーパンでも顰蹙(ひんしゅく)をかうことは無いようですが、「バルテレ
ロージから2ラング・ロージェの席」は、一応正装を今も守っていますので、軽装だと変な目で見られれ
ます。

 改めて、日本でのオペラ鑑賞がいかに低額で見られるか感謝の気持ちです。

*小沢征爾氏は2002年の秋からウィーン・オペラ座(国立歌劇場)の音楽監督に日本人として初めて就
任しました。

2005.10.25 東欧紀行雑感 その4「辛党の看板を一時下ろして」

 食いしん坊な私は、旅先での食べ物には好奇心旺盛に何でも食べますが、東欧旅行中のウイー
ンでは、辛党の看板を一時下ろして、ウィーン子にならい、甘い甘いケーキ「ザッハートルテ」と「モ
ーツアルトトルテ」に挑戦(おおげさ!!)してみました。

 「ザッハートルテ」は王宮近くで、王室ご用達の「デメール」という喫茶室で食べてみましたが、アプ
リコットジャムをはさんだチョコレートスポンジを、更にチョコレートでコーテイングしてあり、生クリー
ムと一緒に食べる事で、ソフトな甘さが口の中をかけめぐりました。

本家は「ザッハー・ホテル」だとも聞いています。 (3.5ユーロ、約500円弱)

 「モーツアルトトルテ」は、ウイーン中心街のシュテハン寺院とオベラ座の中程にある「モーツアル
ト」という、映画「第3の男」で世界的に有名になったカフェです。

 表面にモーツアルトの絵が描かれたチョコレートが載っていました。メランジェ(イタリアで言うカプ
チーノ)を味わいながらの至福の空間を旅してみました。(3ユーロ、約450円弱)

 写真は、「ザッハートルテ」の入った木箱です。   

2005.10.22

東欧紀行雑感 その3「寅さんとウイーン」

 NHKのBS2「 寅さんシリーズ」 全48作が月4回ペースで、二年間に渡り順次放映される予定になって
いますが、その41
作目「寅次郎心の旅路」の一部がウイーンでローケーションされたことを東欧旅行で初めて
しりました。
 映画通に問い合わせたところ、ブルク公園で美しいガイド・久美子(竹下景子)が通りかかったことがきっかけ
で、寅次郎が彼女のツアーバスに乗り、またドナウ川のほとりで久美子の悩みを聞く場面があるとのことですの
で、早く見たいものです。

 今回、私がウイーンで泊まったのは「リンク」から5分ほどドナウ川方向に入った、目の
前に地下鉄U4の駅とその背後に市民公園の眺望が素晴らしく、旧市街へのロケーションも便
利な「インターコンチネンタル・ウイーン」というホテルでした。

なんとこのホテルに1989年の「寅次郎心の旅路」のウイーン・ロケのスタッフが泊まったこと
を、現地の美人ガイドから聞きましたが、この映画もTVも見た事がなかったため話が盛り上が
ず、かえすがえすも残念でたまりませんでした。

*「リンク」というのは、ウイーン旧市街外側を一巡するヨーロッパで一番美 しいと言われてい
る街路で、路面電車も一廻り約45分で両方向に廻っています。

2005.10.17

東欧紀行雑感 その2 「マイヤーリンクに散った悲恋」

 クロード・アネの「うたかたの恋」を初めて読んだのは、もう40年も前のことでしたが、若い私もハップスブルグ家の悲劇
に哀れさをおぼえたものでした。昨年の東欧旅行で、図らずもその実在の舞台となったウイーンの森を訪ねることになり
ました。
 フランス映画でもカトリーヌ・ドヌーブ主演で「うたかたの恋」ということで悲しみをさそったものです。

 私が訪ねたのは10月末のシーズン・オフでした。
そんなことで、マイヤーリンクの館(現在は修道院)の扉には鍵が掛けられていましたが、チャイムを押すと年老いたシス
ターが出てきてくれ、堂内に招き入れてくれました。
 堂内は今も悲しみを伝えているため、写真撮影は一切禁止で、祭壇のあるチャペルから出口に至る通路に、そのもの
悲しい姿が描かれた絵が掛けてありました。
 マイヤーリンクは、ウイーンの南西約20kmにあり、付近のハイリンゲンクロイツには、バーベンベルク王朝時代に建てら
れたシトー派の修道院もあります。

 1880年代、時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリザベート(シッシーの名で親しまれていたそうです。)の
間に生まれた王子ルドルフは、ベルギーから迎えた妃シュテファニーがいながら、ある日、宮廷舞踏会でうら若い男爵令
嬢マリア・ヴェツェラと会い、たまたま宮廷での生活に疲れていたことから、マリア(17才)との恋の深みにはまっていく。そし
て、苦悩の末、ルドルフ31才の冬、マイヤーリンクの狩猟の館で、ふたりはピストルを手にこの世を去っていったというの
が、「うたかたの恋」のアラスジです。

2005.10.12

東欧紀行雑感 その1 「人類誕生以来のお仕
事」

 昨年、10月29日ドナウ河の真珠と言われている「ブタペスト」を最後に、東欧の旅を終え帰ってまいりました。

 この旅で今も鮮明に思い出す事は、ドレスデン(ドイツ)からプラハ(チェコ)に帰る途中、国境峠の検問所を過ぎ、暮れなず
むチエコ・ボヘミア地方のジエーチン村に入ると、村の辻々の暗い街灯の下にミニスカート・ショートパンツの女性の姿を
三々五々見かけ不思議に思ったのですが、彼女らが自らの性(サガ)を糧とするために立っていることを知り、哀れさをとお
りこし人間の業の深さを改めて考えさせられてしまいました。
 ホテルに帰ってポーターに聞いたところ、ドイツ人が女性を求めて国境を越えて来るのだと言っていました。

 東南アジアでもこれと同じ光景を何度か目にしたことがありますが、プラハは清潔な街であっただけに、東南アジアで感
じたものとは異質な、寒々しく寂しい村だけに、一層哀れさを感じたのは私だけでは無いようでした。